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天帝のこと

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 桃太郎などの昔話の主人公が登場する携帯電話のテレビコマーシャルの中で、有名俳優が「 天帝 (てんてい)」を演じていることが話題になっています。 彼が演じる天帝とは、中国における天上の最高神です。 中国歴代王朝の王・皇帝は天帝をまつり。善政を行えば天帝がそれに応えて天から恵 みを与え、悪政を行えば王朝の滅亡につながると信じられていました。 時代を通じて絶対的な存在であった天帝ですが、その姿は時代によって変化します。今回は当館の展示の中から天帝に関連する作品を紹介します。 獣面紋觚 (じゅうめんもんこ)(商時代)より 器面に表された角を有し、大きな目が特徴の獣面紋は、悪食の怪物である「 饕餮 (とうてつ)」と解釈されていますが、天帝の姿と解釈する説も有力です。 環状乳神獣鏡 (後漢時代 図154)より 環状乳神獣鏡や画紋帯神獣鏡の画紋帯部分(写真の矢印部分)には、日月の運行とともに連なる龍が曳(ひ)き天帝が乗車する 雲車 (うんしゃ)が描かれています。 重列式神獣鏡 (後漢時代 図141)より 天の中心に位置し、不動の星とされた北極星を神格化した 天皇大帝 (てんこうだいてい)。 道教 が普及した時代の最高神の姿です。 なお、唐時代(618~907年)頃の七夕伝説では、物語の主役の一人である織女(織姫)が天帝の子とされていたようです。

儀礼狩猟紋壺の世界

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 春秋戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)、青銅器は儀礼に用いる特別な器から実用的なシンプルなものに変化していきますが、一方で装飾に工夫をこらした器も出現します。 壺 (こ)は水や酒を貯える器で、春秋戦国時代頃に現れます。今回紹介する壺は卵のような形の体部外面に人物や動物の姿がところ狭しと表現されています。なお、写真の反対側の面もご覧いただいている面と同じ絵が表現されています。 儀礼狩猟紋壺(戦国時代) 当館蔵 高32.2㎝ 第1展示室「金工の歴史」にて展示中 壺は紋様帯によって上下4段に区画され、それぞれの区画に狩猟や儀礼の場面が表現されています。 1段目(壺の頸の部分)には女性が桑の木の葉を摘む場面と男性が建物から的をめがけて弓を射る場面が表現されています。これらは生産活動や競技ではなく、神に関わる儀式として行われるものです。 最上段に表わされた情景 桑の葉を摘む場面(左側)と弓を射る場面(右側) 2段目(壺の肩の部分)には2階建ての建物があります。2階では食器を並べるなど宴会の準備、1階では梁(?)から吊した 鐘 (しょう:青銅製の打楽器)や 磬 (けい:石製の打楽器)などを演奏する場面が表現されています。また掲載の写真では見えない部分に射包み(いぐるみ)や弋射(よくしゃ)と呼ばれる紐を結びつけた矢を放ち、飛ぶ鳥をからめとる狩猟の場面も表現されています。 2段目に表わされた場面の一部 宴会の準備(上側)と楽器の演奏(下側) 参考:表現された楽器の鐘 獣面紋鐘 (戦国時代)当館蔵 *現在展示していません 3・4段目(壺の胴部)も狩猟の場面ですが、様々な動物と武器をもつ人物が入り乱れ、剣を手に大型動物に果敢に挑む者、動物に追われたり倒された者などが描かれています。 登場する動物を見てみると、実在するシカなどのほか、角のある奇妙な動物がおり、さらに写真では見えない部分に魚も表現されています。この場面は現実の世界ではない、神話的な世界を表現しているのかもしれません。 3段目に表わされた狩猟の場面 参考:人物が手にするのと同形の剣 金緑松石象嵌剣 (戦国時代)当館蔵 長53.2㎝ 第1展示室「金工の歴史」にて展示中 これらの紋様は、あらかじめ紋様部分がくぼむように鋳造し、そこに青銅とは異なる色調の銅などの金属をはめ込む象嵌(ぞうがん)の技法が用いられています。これ...

ニンニク頭の壺

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 中国最初の統一王朝である秦。その起源は紀元前9世紀頃まで遡ります。西の辺境の小国から戦国時代に台頭し、強国となっていきます。この秦の領域内で登場したとされる青銅器の1つに 蒜頭壺 (さんとうこ)があります。 蒜頭壺 当館蔵 第1展示室「金工の歴史」で展示中 扁平な胴部と長く延びる頸、口縁部以外に装飾がない、シンプルで実用を重視した壺です。口縁部に表わされた造形がニンニク(大蒜)のような形であることから、この名で呼ばれています。 口縁部の造形 蒜頭壺は、戦国時代後期に登場し、秦が強国を倒して領土を拡張するのにあわせて分布域を広げていきました。秦は天下統一からわずか15年で滅亡しますが、この壺は前漢時代に入っても使用されました。 当館第1展示室の「金工の歴史」コーナーでは、商時代~漢時代までの青銅器の変遷を展示しています。ぜひご来館のうえご覧下さい。

漢字の成り立ち

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 私たちが日常的に用いている漢字。 その中には商(殷)時代の占いに用いる骨や甲羅に刻まれた文字(甲骨文字)、青銅器に表わされた文字(金文)などにルーツをもち、発達してきたものがあります。 今回は、秋季企画展「儀礼の器 商周青銅器」にちなんで、青銅器にまつわる漢字の成り立ちを紹介しましょう。 獣面紋尊 (じゅうめんもん そん) 千石唯司氏所蔵 企画展展示中 この写真の青銅礼器の形から連想する漢字はありませんか? その漢字は 酉 張りのある胴部から頸がのび、大きく開く口、胴部の下に高台が付く器形を象っています。 壺に入る液体に由来して、「 氵 :さんずい」がつき 酒 の字 へと派生します。 本器を含め、酒を容れる壺の総称である 尊 という字は「 酉 」の字の下に「 寸 」の字が付いています。 「寸」の字の部分は人の手を表わしているそうで、「尊」の字は両手で酒壺を持ち、神前に捧げる動作を象っているそうです。青銅礼器に由来して成立した「尊」の字は、今日も「たっとぶ」など敬いや上位のものという意味で用いられます。 ちなみに「尊」の字の酉の上に飛び出す2画の部分は、口から広がる酒の香りを表わしているとも言われています。 企画展「儀礼の器 商周青銅器」は3月12日(日)までです。ぜひご覧下さい。 参考文献 奈良国立博物館編『坂本コレクション 中国古代青銅器』2002年 奈良国立博物館

さかずき

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 商周時代の青銅礼器を展示する企画展「儀礼の器 商周青銅器」の会期もあとわずかとなりました。今回は展示作品の中から 觚 (こ)を紹介します。 獣面紋 觚(じゅうめんもん こ) 千石唯司氏所蔵 企画展にて展示中 「觚」は日常では見ない漢字ですが、訓読では「さかずき」と読み、文字通り酒を飲むための器です。 商(殷)時代後期の觚は、背が高く、細身で口がラッパのように大きく開いています。 商時代の王らが行う儀礼の中で飲酒は重要なものとされ、「容れる器」、「温める器」、「飲む器」など酒に関わる様々な器が発達し、觚もその中の1つでした。 儀礼狩猟紋壺(戦国時代:館蔵品)に描かれた 古代中国の儀礼の中で行われる宴の様子 中央の人物が觚に似た器を手にしています 酒はたっぷりと入りそうに見えますが、実は内部は上げ底。細い胴部分(最初の写真の矢印付近)に底があり、器の下半は脚台部ですので、入る酒の量は多くありません。 上から見た獣面紋觚の内部 器の形はバランスが悪そうで、展示する時に倒れないか心配していましたが、手にするとすしりと重く、意外に安定しています。 細い胴部と大きく開く口。これを傾けると中の酒をこぼしそうで、飲むのに苦労するであろうことが想像できます。当時の儀礼には細かな決まり事があったと言われていますが、觚にどのような酒を入れ、どのように飲んでいたのかわかっていません。儀礼の参列者は決まり事に従って苦労しながらも酒を口にしていたのでしょうか。 觚は後の時代にその形が日本に伝わり、今日の花器に似た形のものを見ることができます。 企画展「儀礼の器 商周青銅器」は3月12日(日)まで。ぜひお越しください。 。

青銅器の名前

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 秋季企画展「儀礼の器 商周青銅器」の会期もあとわずかになりました。 青銅礼器は、日常では見る機会もなく馴染みが薄いうえに、読み方も判らない難しい漢字の名前ばかりで近寄りがたい感を抱いてしまいます。 私も展示担当として青銅礼器に接してきましたが、準備の最初の段階で難儀したのがこの名前でした。最近でこそパソコンも学習したので原稿の入力作業も楽になりましたが、当初はほぼすべて手書きで入力していました。 素紋斝(すもん か ) 商時代前期 当館蔵 企画展展示中 獣面紋卣(じゅうめんもん ゆう )  卣:酒を容れて持ち運ぶ器 千石唯司氏所蔵 企画展展示中 獣面紋方彝(じゅうめんもん ほうい )  千石唯司氏所蔵 企画展展示中 難しい名称の代表格は「彝」(い)でしょう。青銅礼器の総称を「彝器」(いき)とも呼び、祖先を祀る宗廟に常備された器を意味します。 青銅礼器の多くは、使用されていた商周時代に実際どう呼ばれていたのかわかりません。 今日用いている名称は、戦国時代(紀元前5~3世紀)以降の研究者が古典を読み解き、古典に表われる器の名前と青銅礼器を対照させて当てはめたものです。中にはおかしいと思われるものもあるようですが、多くはそのまま用いられています。 数少ないですが、器に銘文があり、そこに器の名前が記されているものがあります。 方格乳釘紋簋(ほうかくにゅうていもん き )   千石唯司氏所蔵 企画展展示中 この器の内面底部(見込み部分)には銘文があります。 「伯作寶𣪘」の銘 銘文は、 「伯作寶𣪘」の 4文字だけの短文ですが「伯が宝の 𣪘 (き)を作った」という意味で、伯という人物がなんらかの記念に𣪘を作ったということを子孫に知らしめるために記したものと考えられています。 この器は現在「 簋」と呼ばれ、銘に記された器の名前は「𣪘」で、文字は異なります。しかしどちらも同音の「き」です。 この器に関しては、少なくとも西周時代の人々も「き」と呼んでいたことがわかります。 今回の展示では、ケースのガラス越しですが、のぞき込むと銘文を見ることができます。 受付で貸し出している懐中電灯を使用したら、銘文はもう少し見やすくなると思います。 ぜひこの機会にご覧下さい。

青銅礼器とその紋様

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 古代鏡展示館では、企画展「儀礼の器 商周青銅器」を開催中(3月12日まで)。商周時代の王らが行う儀式の中で用いられる青銅礼器を展示しています。これら作品は遠い昔の中国のものなので、馴染みにくい印象をお持ちかもしれません。しかし、青銅礼器の形やそこに表わされた紋様は今日まで通じるものがあります。近隣の神社や寺院を巡った際に目にした事例を紹介します。 寺院の本堂前に置かれた香炉 香炉は三足で器形も青銅礼器の 鼎 (てい)に似ています。胴部にある逆三角形の紋様は、青銅礼器に表わされている、再生の意味をもつとされる 蝉紋 (ぜんもん)そのものです。 胴部に 蝉紋 が表わされた 鳥紋鼎 (商後期) 企画展「儀礼の器」にて展示中 千石唯司氏所蔵品 神社の屋根を覆う瓦 鬼瓦 と 軒桟瓦 (のきさんがわら)(軒先を飾る瓦)、 鳥衾 (とりぶすま)(棟上に突出する円い瓦) 鬼瓦は大きな角とにらむ目が特徴です。その姿は商時代の青銅礼器の多くに表わされた 獣面紋 ( 饕餮 (とうてつ) 紋 )にも似ています。鬼瓦の起源は5世紀頃の中国にまで遡りますが、青銅器の獣面紋は西周時代(前10世紀)以降衰退するので、両者は直接関連しません。 鬼瓦も獣面紋も魔除けの役割があるとされ、人間が見えない魔物と対峙するうえで、にらむ目と威嚇する角は必要不可欠なデザインだったのかもしれません。 獣面紋鼎に表わされた 獣面紋 (商末~西周初期) 企画展「儀礼の器」にて展示中 千石唯司氏所蔵品 軒桟瓦や鳥衾には 巴紋 (ともえもん)が表わされています。巴紋は日本では平安時代以降、瓦や武具などの装飾として多用されます。 商代の青銅礼器の中には、丸や四角の渦巻き紋様が見られます。これらの紋様は気のエネルギーを表わすとも言われます。丸い渦巻き紋様は 円渦紋 (えんかもん)と呼ばれ、巴紋に似た紋様ですが、こちらも時代の空白と地理的な隔たりがあるので両者が直接関連するとは考えられません。 獣面紋卣(ゆう)に表わされた 円渦紋 (商後期) 企画展「儀礼の器」にて展示中 千石唯司氏所蔵品 中国社会に強い影響をもつ儒教は、青銅礼器が隆盛していた西周時代の社会を理想としました。儒教を学ぶうえで、青銅礼器は理想とする時代を象徴するものとして、研究対象として重要視されました。儒教は周辺地域の日本にも伝わり貴族や武士の教養とし...

チューリップと青銅器

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 兵庫県立フラワーセンターでは、4月30日までチューリップまつりが開催中。会期中350種16万球のチューリップをご覧いただけます。 チューリップは色鮮やかな釣り鐘のような花をイメージしますが、その香りも特徴的です。 チューリップの和名は「 鬱金香 (うこんこう)」。鬱金とは染料や健康飲料として知られているウコンのこと。チューリップの香りがウコンのそれに似ていることに由来しているそうです。 ウコンは強い香りをもち、カレーなどの香辛料としても知られますが、古代中国の酒にも用いられていたようです。 古典によると、商(殷)時代は飲酒を伴う祭祀がさかんに行われ、祭祀にあわせた様々な酒が醸造されたようです。その中に「 鬱鬯 (うつちょう)」がありました。これは雑穀のクロキビを醸造した酒にウコンの煮汁で香りをつけたカクテル。神を祭祀の場に降臨させるための特別な酒だったようです。ウコンの香りは神とコンタクトする重要な役割をもっていたのでしょう。 そして、祭祀を執り行ううえで様々な青銅の酒器が制作され用いられました。 当時の酒は現存していません。また最近のチューリップは品種改良により香りがマイルドになったそうです。今日、その香りを体感できないのは残念ですが、フラワーセンターに咲くチューリップのほのかな香り、そして当館で展示する青銅の酒器から、当時の神をまつる様子を想像してみてください。 商(殷)時代の祭祀に用いた酒器(当館蔵) (右・中:酒を温める器、左:飲む器) 参考文献 廣川 守「中国古代の酒」『殷周の青銅器』鑑賞シリーズ10 根津美術館 2009年 

鼎の物語

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鼎は「てい」と読みます。3足があり、口の両側に把手(耳)が付く器。 今日の日本でも3足の香炉を鼎(かなえ)と呼び、3人の対談を鼎談と言うなど言葉として残り、用いられています。 当館で開催中の「中国王朝の粋美」の中でも鼎を展示しています。 肉のスープを煮込むものですが、日常で用いる鍋ではなく、王が神を祭る儀式で用います。 弦紋鼎  商 「古代中国金工の歴史」で展示中 中国の故事に見える鼎についてみてみましょう。 「禹の九鼎」 周王朝には9つの鼎がありました。これらは最初の王朝とされる夏の時代の初代の王 禹 (う)が国内の銅を集めて作ったもの、と伝えられていました。 「鼎を定める」 王朝は夏から商(殷)、周と変わり、九鼎は代々の王朝に引き継がれました。鼎が置かれる場所こそ王朝が所在する場所だったのです。 当館で展示している鼎は高さ18㎝程度の小型のものですが、中国で出土した鼎の中には非常に大きく、重いものがあり、動かすことは大変だったようです。 「鼎 (かなえ) の軽重を問う」 周王朝に衰えがみえた春秋時代、長江流域の大国である楚の国の王は九鼎を入手しようと、その重さを周王朝の使者に尋ねたと言われています。使者は、国力が衰えても鼎があることは、王の徳が衰えていないこと、と回答を拒絶しました。 「鼎伏」 しかしその後周王朝は滅びます。九鼎は秦の始皇帝の手に渡りますが、移動中に1つを河に落としてしまったと伝えられています。始皇帝は水没した鼎の引き上げを試みましたが、ついに成功することはありませんでした。  鼎は、儀式の中の重要な器にとどまらず、王の権威を象徴する宝器でもあったのです。

錞于って何

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 ただ今開催中の「中国王朝の粋美」の1コーナー「青銅の響き」では、夏ー商から春秋戦国時代の楽器を展示しています。 その中で多くの方が「これ何?」と感想をもたれる作品が 錞于 (じゅんう)です。 蟠螭紋 錞于 (ばんちもんじゅんう) 戦国時代 「青銅の響き」にて展示中 一見すると 壺のような形をしていて、楽器には見えませんが。 展示していると見えませんが、内部は空洞で、底はありません。 頂部は蓋のように見えますが、胴部と一体で外すことはできません。 虎の形をした鈕(ちゅう)が付き、ここでつり下げ、胴部の側面を叩く打楽器です。 錞于は長江の流域で発達し、春秋時代から前漢時代にかけて制作されました。 音楽の合奏や戦いの合図に用いられたようです。

謎の顔

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  当館で新しく展示している商(殷)~春秋戦国時代の青銅器の表面には、奇怪な顔が表現されているものがあります。 獣面紋鐃 (どう) 商~西周 「青銅の響き」にて展示中 当館では「 獣面紋 」と呼んでいますが、古くから 饕餮 (とうてつ) 紋 とも呼ばれています。複雑な紋様ですが、じっと観察すると先端が巻いた羊のような角、にらみつけるような大きな目が印象的な顔が読み取れます。 獣面紋觚 (こ) 商 (部分拡大) 「古代中国金工の歴史」にて展示中 この紋様の正体は明らかでありません。 饕餮とは、想像上の大食いの怪物のこと。怪物が表現されているのは、魔物をも食らい尽くすという意味があるのでしょうか。また、それとは逆に天上の最高神の姿とする説もあります。 いずれにしてもこの顔は、大きな目で魔物を見極め、威嚇する存在であることは間違いないようで、魔除けの役割から青銅器の主要な紋様として用いられているようです。 当館第1展示室ではこの他にも様々な獣面紋のある青銅器を展示しています。謎の紋様とじっくり向き合ってみませんか。

酒の力

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政治を「まつりごと」とも言いますが、古代中国においては、祭りと政治は一体。商(殷)の時代、儀式の中で王は天や祖先などの神々に伺いをたて、政治の決定を行いました。 王が神と交わる手段が酒。酒により酩酊することで王は神と交信したようです。 そのためか商の時代の青銅器は、儀式で用いる酒に関する器が発達します。 乳釘紋爵 (しゃく):酒を温める器 素紋斝 (か):酒を温める器 獣面紋觚 (こ):酒を飲む器 いずれも新展示室オープン記念展「中国王朝の粋美」にて展示します。 商王朝最後の王、 紂 (ちゅう)は暴君とも贅沢の限りを尽くしたとも言われています。これに由来する故事が「 酒池肉林 」。商は西周に倒され、王朝が交代します。西周の三代目の王は「私が聞いたところでは、前の王朝が天に見放されたのは酒に耽ったから」と言ったそうです。 商滅亡の経緯が歴史的事実かは明らかでありませんが、少なくとも西周王朝の時代になると儀式の内容に変化がみられ、酒に関わる青銅器は徐々に姿を消していくことになります。