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6月1日 から開館します!

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新型コロナウィルス感染症の拡大に伴う長い臨時休館が終了します。 古代鏡展示館はいよいよ 6月1日(月)開館 いたします。 季節も春から初夏が過ぎ、もう夏、一足早く開園したフラワーセンターの賑わいを横目に、開館の準備を進めてまいりました。 企画展「美と微 美の集積と技巧の微」も再開。秀麗高雅な鏡がご来館をお待ちしています。 開館にあたり、皆様にお知らせいたします。 感染予防のため、館内で提供していたサービスを当面の間一部制限いたします。 また、以下のことについて、皆様のご協力をお願いいたします 1 当館への入館条件をもうけます   ・ 発熱(37.5度以上)のないこと (入館時に検温を行います)   ・ 風邪症状、味覚及び嗅覚異常等のないこと   ・ マスクを着用すること 2  入館時に「連絡票」に連絡先をご記入いただきます。   ※感染者の入館が判明した際の連絡に使用します 3 入館後ご協力いただくこと   ・手指消毒やこまかな手洗い   ・他の来館者との距離(1~2m)の確保   ・館内での会話を控える   ・混雑時に入館制限する場合があります。 なお、当館スタッフはマスク着用などの衛生対策及び健康観察を行い、業務に従事いたします。 ご不便をおかけしますが、来館される皆様が、安全に、安心して当館をご利用いただけるよう、ご理解とご協力をお願いいたします。 6月1日に皆様にお会いできることを楽しみにしてお待ちしております。  

亀ノ倉池(フラワーセンター内の歴史遺産2)

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フラワーセンターの中央に位置する亀ノ倉池。面積約7㌶(甲子園球場約5個分)の農業用ため池です。本来なら五月の空をこいのぼりが泳いでいるはずだったのですが・・・ 野生の水鳥も去り、静かな水面をフラワーセンターのマスコットあひるちゃんが寂しく泳いでいます。 2009年 国土地理院撮影 兵庫県は全国一のため池王国。当館が所在する加西市もため池が多く、特にフラワーセンター周辺は台地縁辺の谷をせき止めたため池が密集しています( 矢印が亀ノ倉池)。 ため池は農閑期に水を干します。数十年前、播磨地域の旧石器・縄文時代の人々の痕跡を明らかにするため、考古学研究者が干上がったため池を踏査し、多くの石器が採集されました。 亀ノ倉池の底からも縄文時代前期(約7000年前)の石鏃(せきぞく:石製矢じり)などが、また旧石器時代(約2万年前)の石器も採集され、 亀ノ倉遺跡 として周知されました。 亀ノ倉遺跡採集の石器(縄文時代) 加西市 2010年『加西市史第7巻 史料編Ⅰ 考古』から引用 満々と水を貯える亀ノ倉池ですが、実は水深は浅く、もとは山から続くなだらかな地形でした。山が季節風を遮り、南に開けるこの地は、人々の活動に適した場所だったと想像できます。 危険防止のため池への立ち入りはできませんが、池の周囲約1.3㎞は周遊路が整備されています。古代鏡展示館、フラワーセンターが再開したら、ぜひ花と緑を見ながらウォーキングをお楽しみ下さい。

漢字の歴史

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新型コロナウィルス感染防止のため、学校の臨時休校から2ヶ月が過ぎました。思い起こせば、希望や不安を抱えて進級・進学したこの時期、ノートにひたすら書く漢字の練習が苦痛だったのを思い出します。 今回は我々になじみ深い漢字の歴史とともに、当館所蔵の古代中国鏡に記された文字(漢字)をご覧いただきます。 漢字は、文字どおり古代中国で発生した文字。伝説では、最初の王である黄帝に仕えた 蒼頡 (そうけつ)が砂浜に残る鳥の足跡を見て創作した、とされています。蒼頡は優れた観察力から4つの目がある姿で描かれ、後漢時代の神獣鏡にも登場します。 鍍金同向式神獣鏡 (後漢 図156) 蒼頡と考えられる図像(左の人物) 考古学で文字が確認できるのは、商(殷)の時代(前1300年頃)。占いに用いた骨や甲羅に刻まれた 甲骨文字 (こうこつもじ)が最初です。続く周の時代(前1000年頃)には青銅器に記された文字( 金文 :きんぶん)がありました。この頃の文字は絵文字のような象形文字でした。 当館のロゴマークは、 西周時代の金文を図案化したもの。容器の水に映る自分の姿を大きな目で見る様子を象っています。この文字が「監」、そして「鑑」になります。 社会が発展し、文字を書く必要性が増大すると、象形文字は書きやすい字形に改良されます。秦の時代(前200年頃)には文字の統一が行われ、今日の 篆 (てん) 書体 のもとになる 小篆 が公式書体になります。漢の時代にかけて 隷 (れい) 書体 が現れます。 鏡に文字が記されるのは、前漢の時代(前2世紀の中頃)から。 鏡の銘文に表された書体は、篆書体や隷書体とは異なる書体や略字もあります。 異体字銘帯鏡 (前漢 図105) 銘文の一部「秋風起心甚悲」 漢字のもつ視覚的なデザインを強調しています。   鍍金方格規矩四神鏡 (新 図123) 銘文の一部                   「長保二親楽富昌」 隷書体を改良した 楷 (かい) 書体 が、隋から唐の時代(6世紀)頃までに成立します。 瑞花対獣紋鏡 (隋ー唐 図193) 銘文の一部                 「月似輪廻」 漢字は中国の対外政策の広がりとともに周辺国へ伝播し、漢字文化圏を形成しました。

幻の色

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千石コレクションの銅鏡は、寄贈を受けて以降、考古学的研究とともに鏡の素性などを明らかにするために理化学的調査も行っています。今回はその成果の一端を紹介します。 彩絵人物車馬鏡 (前漢 図76)は、鋳造した後、鈕座や内・外区に塗彩している鏡です。外区には、赤、白、青、紫、緑の顔料を用いて貴族が狩猟や宴をする様子など4つの場面が描かれ、漢帝国全盛期の貴族の姿や習俗を見ることができます。 彩絵人物車馬鏡 (前漢 図76) 絵に使用された顔料の種類を調べるため、鉱物の成分を明らかにする X線回折 と、試料に含まれる元素の種類やその量を明らかにする 蛍光X線分析 を行いました。 その結果、淡い紫色に塗彩された箇所(上下写真の矢印の箇所)からケイ酸バリウム銅が検出されました。 漢紫が用いられた箇所(上写真の拡大) ケイ酸バリウム銅は自然界に存在しない、人為的に合成されたもの。 漢紫 という顔料です。漢紫は秦から漢の時代に壁画や器物の彩色に用いられましたが、その後途絶えてしまう幻の顔料です。 彩絵人物車馬鏡は企画展「美と微」にて展示しています。 開館の際は、今日存在しない幻の古代の色彩をぜひご覧下さい。 参考文献:兵庫県立考古博物館 2017年『千石コレクションー鏡鑑編ー』      兵庫県立考古博物館 2018年『兵庫県立考古博物館研究紀要』第11号