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イノシシがいっぱい

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現在開催中の秋季企画展 「唐王朝の彩り 宮廷の栄華をうつす金銀銅」 では、隋・唐時代に制作された鏡も展示しています。その中には十二支を鏡背面に表した鏡もあり、平成31年の干支であるイノシシの様々な姿をご覧いただけます。 方位を示す役割を担っていた十二支は、隋・唐の時代には動物の姿として鏡背面に表現されます。当館の十二支を表した鏡は、北を示す「子:ネズミ」が上になるように展示しています。十二支は時計回りに巡っていますので、イノシシは、上からやや左側の位置に表されています。 受付で貸し出している拡大鏡でイノシシの姿を探してみましょう。 当館おすすめのイノシシは、 パルメット唐草十二支紋鏡 にいます。 パルメット唐草十二支紋鏡(図版197)と表されたイノシシ 外区には時計回りに駆ける十二支が写実的に描かれています。猪突猛進ではありませんが、疾駆するイノシシの姿、いかがでしょうか。 また、美形のイノシシはこちら 秋季企画展イチオシの展示品、 銀鍍金禽獣草花紋三足壺 (ぎんときんきんじゅうそうかもんさんそくこ)の中にいます。 当館の展示品はすべて写真撮影が可能です(ただしフラッシュ撮影や脚の使用はご遠慮いただいています)。今年も残すところ1ヶ月。ぜひ、当館の展示品に表されたイノシシの図像を平成31年の年賀状にお使い下さい。 平成31年を迎えた1月2日(水)からは、 スポット展示「干支 亥」 も開幕します。(3月12日(火)まで)こちらは十二支が動物の姿になる前、文字で方位を示した時代の鏡を展示します。併せてご覧下さい。

古代鏡展示館取材ありがとうございます

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加西市内の中学校を訪問したところ、生徒が作成した新聞に古代鏡展示館が取り上げられていました。 (教員の許可を得て撮影・掲載しました) この新聞は、社会科の地域学習の一環として夏休みに生徒が市内各所へ足を運び、自ら調べたことをまとめたものだそうです。 夏休み期間中に熱心に見学していた中学生がいたことを記憶していましたが、まさか取材していたとは知りませんでした。数多くの加西市内の名所旧跡や特産物などとともに古代鏡展示館を選んでいただき、ありがとうございました。 記事に掲載されているのは 「孔雀石象嵌透彫鏡 (くじゃくいしぞうがんすかしぼりきょう) 」 という鏡です。 孔雀石象嵌透彫鏡(図版番号22) 別々につくられた鏡面と鏡背面をはめ合わせた 二重体鏡 と呼ばれるもので、約2,300年前の戦国時代の鏡です。数多くの展示品の中からこの鏡を選んだあなた、目のつけどころが見事です! 中学生の皆さん、古代鏡展示館では、社会科の教科書に出てくる中国の歴史資料を直接見ることができます。わからないことはスタッフに質問もできますので、ぜひご来館いただき、歴史を体感して下さい。

紺綬褒章受章のお祝い

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古代中国鏡を中心とする千石コレクションを兵庫県にご寄贈いただいた功績により、千石唯司氏が紺綬褒章(こんじゅほうしょう)を授与されました。 和田晴吾館長(左)から章記を受け取る千石唯司氏 (10月17日)

カササギ

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猛暑の夏が去り、季節は秋。夜空を見るのによい季節になりました。夜空の天頂近くにはベガ、アルタイル、デネブの3星で構成される「夏の大三角」がまだよく見えます。このうちベガとアルタイルは七夕伝説の織女(織姫)と牽牛(彦星)にあたり、その間に天の川が広がっています。 昨年もブログに登場しましたが、月宮双鵲龍濤紋八花鏡は七夕伝説に関連する鏡です。 月宮双鵲龍濤紋八花鏡(唐:図録番号290) 鈕の左右で綬をくわえる鵲(カササギ)は、七夕の夜に天の川に橋を架け織女と牽牛の間を取り持ったことから、男女の仲をとりもつ瑞鳥(おめでたい鳥)とも言われています。 ところで、カササギは、ヨーロッパから東アジアまで北半球に広く生息する鳥ですが、もともと日本にはいなかったそうで、『魏志倭人伝』には日本にいない鳥獣の1つとして記載があります。 奈良時代初頭に編纂された『播磨国風土記』には、讃容郡中川の里(現兵庫県佐用郡佐用町末廣付近)の船引山に「鵲住めり」とあり、日本における生息についての最古の記録です。「韓國の烏」と記されているのですが、実際のカササギと生態が異なること、奈良時代に「鵲」をどう読んでいたのかが明らかでないことから別の鳥である可能性があり、古代の兵庫県にカササギがいた!と断言できないのは残念です。 日本で生息が確認できるのは近世の初め頃。朝鮮半島から北部九州へ人間が連れてきたとも、海を渡って飛んできたとも言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。謎多きカササギですが、中国や韓国では瑞鳥として今日も親しまれています。日本の主な生息地である佐賀県では「カチガラス」とも呼ばれ「勝ち」に通じる縁起の良い鳥とされています。もし、旅行などで佐賀県へ行く機会があり、長い尾で腹や羽根の先端が白い鳥がいたら、カササギかもしれません。見つけたらなにか良いことがあるかもしれませんよ。 月宮双鵲龍濤紋八花鏡は9月14日(金)開幕の秋季企画展「唐王朝の彩り 宮廷の栄華をうつす金銀銅」にて展示します。ぜひご覧下さい。 

開幕にむけて

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9月14日(金)から 秋季企画展「唐王朝の彩り-宮廷の栄華をうつす金銀銅-」 が開幕 します。 それにともない、本日は展示替えのため臨時休館。休館中の展示室では、明日にむけての展示替えが大詰めを迎えています。 小さな展示室ですが、今回ほど大規模な展示替えは初めてです。 作業の様子を少しご紹介しましょう☺ 11日まで展示していた銅鏡は、きれいに撤収しました。 秋季企画展のパネルを設置中です。 展示品配置の瞬間、緊張します! ひとりでも多くのお客様に、小さな作品たちの 繊細な技巧と彩りを観ていただきたい・・・ 微調整を繰り返して仕上げていきます。 明日から開幕の秋季企画展、どうぞ皆様お楽しみに。 ◆担当学芸員おすすめの逸品◆ 頸のくびれた小壺に短い足がつき、宝珠形のつまみの蓋がのる。全面に草花や、その中を走るイノシシやウサギ、鹿が描かれ、繊細な魚々子紋で埋める。 金色に浮き上がる紋様と黒い地肌の対比が鮮やか。 銀鍍金禽獣草花紋三足壺(鍑)  唐  高5.9cm 胴径5.8cm

知音

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先日、兵庫県立北条高校2年生の皆さんに見学いただきました。展示している鍍金同向式神獣鏡を見て「鍾子期(しょうしき)がいる!」と喚声をあげる生徒さん。 鍍金同向式神獣鏡(図録番号146) 中央が伯牙。左側が鍾子期、右側は侍者と考えられている 鍾子期は神獣鏡に登場する神仙の中では脇役的存在なのに、なぜ知っているの?とこちらもびっくり。先生に伺うと漢文の授業で「知音」(ちいん)を習ったから、とのことで納得しました。 鍾子期は、琴の名手である伯牙(はくが)と一組の図像として表され、陰陽の調和を助けるために琴を弾く伯牙の傍らで耳を傾けています。鍾子期は伯牙が演奏中に思い描いたことを悟ることができたそうで、伯牙のよき理解者として親しく交際していました。鍾子期が亡くなると、伯牙は演奏するに値する人がいなくなったと悲しみ、琴を壊して二度と手にすることはありませんでした。 この故事に由来して、「知音」とは、よく心を知り合っている人や親友のことを意味します。(『広辞苑』より) 高校生の皆さん、鏡の中には皆さんご存じの物語が表現されたものもあります。「知音」のようなきっかけで古代鏡に親しんでもらえれば、スタッフとしても嬉しいです。 フラワーセンター、古代鏡展示館ともに高校生以下は入園・入館料無料です。ぜひお友達と一緒にお越し下さい。

ブドウがいっぱい

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 フラワーセンター内を歩いていると、大温室脇の木漏れ日の小道でブドウが実っているのを発見しました👀  ここ兵庫県加西市は、ブドウの産地。  市内にはブドウ畑が広がり、これからの季節、あちこちの道沿いでブドウの露店が営業をはじめます。    ところで、古代鏡展示館では、たわわに実る葡萄を いつでも ご覧いただけるのをご存じですか? 海獣葡萄鏡(図録番号225)    唐代に多く制作され、千石コレクションの中で最も数が多い 海獣葡萄鏡 は、その名称が示すとおり、異国の動物である獅子をモチーフにした「海獣」と「葡萄唐草」が主紋様のひとつになっています。  「葡萄唐草紋」は、紀元前4世紀頃にギリシャで生まれ、西アジアを経て中国へ伝わりました。当時の中国では、葡萄は大変珍しく、たくさんの実をつけることから多産と繁栄を象徴するおめでたい植物として、鏡の紋様にあしらわれていたのです。  当館では、これら 海獣葡萄鏡 をじっくりご覧いただく 夏季スポット展「海獣葡萄鏡の世界2」を、7月19日(木)から9月11日(火)まで開催 します。  この夏、涼しい展示室内で、唐代の人々が好んだ葡萄をぜひご堪能下さい!  お帰りの際は、お土産に加西産のブドウもお忘れなく☺

本日はお日柄もよく

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関東では例年より早く6月で梅雨明けしましたが、全国的には梅雨まっただ中、湿度も高く1年の中でも過ごし辛い時期です。しかしヨーロッパの6月は気候が穏やかで、ジューンブライド(6月の花嫁)の季節。この時期に結婚したカップルは幸せになると信じられています。(諸説あります) 結婚式といえば、「本日はお日柄もよく・・・」とお馴染みの挨拶のように大安吉日を選んで婚礼を行うのが当たり前でした。 古代中国でも吉日を選んで結婚式の日取りを決めていたことがわかる鏡があります。 画像鏡(後漢 図録番号146)と「良時日衆大富」の銘 画像鏡の外圏の銘帯には、「良時日衆大富」(時日良ければ、家は大いに富まん)と記されています。「吉日を選び、この鏡を用いて婚礼を行えば、新郎新婦のご両家は富み栄ます」という意味。吉凶の巡りは宇宙の法則によるので、その法則に従い婚礼の日取りを決めれば新郎新婦ご両家に幸福が訪れるという効能書です。効能を信じて、この鏡を手に結婚したカップルの未来はどうだったのか気になります。 今回紹介した鏡は、企画展「吉祥の図像 鏡に表された願い」で展示中です。 ところで、この鏡、当初は西王母と東王父の図像があったことが銘からわかるのですが、出土時に破損し西王母の像があるべき部分が失われ、樹脂で修復されています。一見するとオリジナルの部分と区別ができない巧みな修復の痕跡もご自身の目で確かめてみて下さい。 画像鏡(図録番号146)X線写真 右上が東王父の図像、黒い部分が欠損し補修した箇所

顔出しパネルの登場です

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昨年に引き続き、今年も作成しました。 古代鏡展示館オリジナルの顔出しパネルが登場です💃 今回は、現在開催中の企画展「吉祥の図像」より、不死を司る女性神の西王母(せいおうぼ)と相対する男性神の東王父(とうおうふ)をモデルとしました。 【重列式神獣鏡より】 足元に描かれた青龍と白虎は、協力して不幸を取り除くとされています。 【画像鏡より】 ご来館の際は、ぜひこのパネルで記念撮影をどうぞ! 平成30年7月17日(火)まで古代鏡展示館前に設置しています。 なお、モデルとなった神々が表された鏡は館内にて展示中です。 皆様のステキな顔出しを、心よりお待ちしています☺

謎の石像

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古代鏡展示館へお越しの際、入り口の向かい側に動物の姿をした石像が1対置かれているのにお気づきでしょうか。フラワーセンターのお客様も「何?」とのぞき込みながら歩かれているのをよく目にします。 石像の正体は琉球の守護神シーサーです。フラワーセンターが開園した昭和51年、沖縄県から兵庫県へ友好の証として贈られたもの。以来40年余りフラワーセンターを見守り続けています。 ガイドブックなどでよく目にするシーサーは屋根の上にいますが、これは瓦葺きが普及した近代以降の姿。古くは城門や集落の入り口などに一対を設置し、悪霊の侵入を防ぐ役目をもっていました。 シーサーはその姿の通り獅子に由来し、さらにさかのぼると西南アジアに生息したライオンにたどりつきます。ライオンは、力の象徴として古くから美術品や紋章に表現されました。これが中国へ伝わると獅子となり、瑞獣として鏡のモチーフにも取り入れられます。当館で最も数の多い海獣葡萄鏡の主紋様である海獣も西から伝わった獅子紋の影響を受けてかたちづくられたものと考えられています。                海獣葡萄鏡(図録番号225) 中国でかたちづくられた獅子は、さらに周辺地域へ広まりました。日本では絵画や工芸品の中に様々な姿で表現され、神社の狛犬やお正月の獅子舞など日常風景にも溶け込んでいます。そして、琉球へ伝わった獅子を琉球語で表したのがシーサーでした。 6月23日は沖縄戦が終結した日。獅子の文化は大きな輪でアジアを取り巻き、そして今も私たちの周りで生き続けています。様々な獅子の姿をフラワーセンター・古代鏡展示館でご覧下さい。

企画展「吉祥の図像」開催中です

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古代鏡展示館ファンの皆様、ブログがしばらく途絶えていましたこと、お詫びいたします。 今回は、遅ればせながら、春季企画展「吉祥の図像 鏡に表された願い」開催のご案内。 見学の方から「吉祥」ってどういう意味?、どう読むの?というご質問をいただきます。 わかりにくいタイトルは良くないなと担当者は少し反省・・・ 「吉祥」は「きっしょう」と読み、この上もなく吉なこと、よい前兆という意味です。(『広辞苑』より) この企画展では、漢の時代(約2000年前)を中心に、この鏡を手にすれば幸せ間違いなし、という鏡を13面展示しています。神々の図像とともに人々の幸福への願いが表された銘文も紹介しています。 企画展「吉祥の図像」は9月11日(火)まで。会期も半ばを迎えようとしていますが、6月からは関連するイベントも毎月行われます。 ぜひ、ご来館下さい。

女と男と鏡② あの世での再会<後漢・隋>

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前回、鏡が結婚の際に用いられたことを示す具体例を紹介しました。 今回は、めでたく夫婦となった、その後の話です。 -1- 589年、中国南朝の陳という国が隋に滅ぼされた時、徐徳言という人が妻に言いました。 「国が亡んだ後、あなたは敵に捕らわれてしまうだろうが、縁あれば再会できよう。 その時のために・・・」 徐徳言はそう言うと、鏡を二つに割り、一つを妻に渡し、残りの一つを自分が持ち、再会して元に戻すことができるよう、誓いをたてました。 (猛棨『本事詩』情感篇より) 結局、この二人は鏡のおかげで無事に再会を果たしました。 こうしたお話から、鏡は男女、夫婦の愛情のシンボルとされていたことがわかります。 今でも夫婦の別れを「破鏡」、そして再会することを、割れた鏡が再び円の形にもどることから「破鏡重円(はきょう ちょうえん・はきょう じょうえん)」といいます。 こうした言葉は、鏡が愛情のシンボルとして特別な役割をもっていることを反映しています。 ー2ー 「破鏡重円」の具体的な様子が、発掘調査で確認されています。 それは洛陽市の焼溝漢墓(しょうこうかんぼ)群38号墓の発掘成果です。 38号墓(後漢代)には3人の人が葬られていましたが、そのうちの2人の傍らに二つに割られた鏡がそれぞれ置かれていました。 洛陽焼溝漢墓群38号墓 (参考文献①より引用、一部改変) あの世での再会を誓ったのかも知れませんが、少々問題なのがその鏡を持っていた2人の関係です。 主室に並んで埋葬されている2人が夫婦(または夫と第1夫人)とすれば、男性が再会を誓ったのは妻(または第1夫人)ではなく、副室に埋葬された方(第2夫人?)になってしまいます。 発掘調査は当時の鏡文化を知る重要な手がかりを私たちに与えてくれますが、時には他人の秘密を暴いてしまう、ちょっと残酷な側面もあるようです。 ー3ー せっかくの誓いの証である「破鏡」も、不義理を犯してしまうと、とんでもない行動にでてしまいます。 むかし、ある夫婦が離ればなれになる際、鏡を2つに割り、その破鏡を夫婦で一つずつ持ち合う「破鏡重円」の誓いをたてました。 ところが、妻が別の男と浮気をしてしまいます。すると、妻の持つ破鏡が鵲(カササギ)という鳥になって夫の前に飛んでいき、なんと、

チューリップと団華紋鏡②

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チューリップとトルコとの関わりを調べていると、 チューリップ柄の、おしゃれなトルコ製鍋敷き(タイル)が売られているのに気づき、 思わず買ってしまいました。 「Artnicea社製トルコタイル花型鍋敷き」 ホームページの説明では、 「 ホワイトをベースにチューリップやカーネーションが沢山描かれ、紅白カラーが素敵なデザイン。トルコではチューリップは神聖な花として、カーネーションは天国を意味する花として特別な意味があります。そのためトルコタイルにも多く描かれ、トルコの人々に愛されています。  」 ということだそうです。 また、鍋敷きの裏に貼られているクッション材の説明によると、 「16世紀の伝統的なイズニク・トルコ陶芸品」で、 「無鉛の釉薬」がかけられているそうです。 イズニク陶器、イズニクタイルという名前をご存じの方も多いのではないでしょうか。 全体の輪郭も、唐鏡の八稜鏡と一緒! 思わず、うれしくなってしまいました。 八稜形の鏡 (騎馬狩猟紋八稜鏡 図録268) イズニク陶器には、皿にも八稜形のものもあるようです。 どうやら16世紀に中国のデザインの影響を受けていたそうです。

女と男と鏡① 結婚で用いられた鏡<後漢・唐>

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古代の中国では、結婚に鏡が用いられることがありました。 ①夫婦が仲良くなる鏡 ピョンヤン市 貞柏里13号墓 出土「尚方作」獣帯鏡<後漢(25~220年)> (参考文献①より引用) この鏡には、以下の銘文が記されています。 「(前略)  嫁入門時 殊大良。  夫婦相重、甚於威央。 (後略)」 (嫁、門に入る時、殊に大いに良(よろ)し。 夫婦は相い重んじ、威央(=鴛鴦:おしどり)より甚だし) この鏡をもって嫁入りすると、とっても良く、夫婦は仲良く、 その様は夫婦仲のよい「おしどり」を上回るほどだそうです。 こんな鏡を1枚欲しいと思うときがありますが、 皆さんはいかがでしょうか?(笑) ②両家が結ばれ、子孫繁栄の鏡 <江西省 南昌丁(なんしょうてい)1号墓出土 獣帯鏡<後漢(25~220年)> この鏡には、以下の銘文が記されています。 「良月吉日、造此倚物。  二姓合好、堅如膠漆。  女貞男聖、子孫充實。 (後略)」 (良き月の吉日に、この奇物を造る。  二姓は好しみを合わせ、堅きこと膠(にかわ)や漆(うるし)のごとし。  女は貞、男は聖、子孫は充実せん。) 吉日に造った、このめずらしく、不思議な鏡は 接着剤のように堅く両家を結びつける。 女性は堅く誠実で、 男性は知徳にすぐれ、賢く、 子孫は繁栄するだろう。 少子化対策にぴったりの鏡です。 ③鏡が登場する唐の詩 王建が詠った詩「老婦嘆鏡」<唐(~830)> 「嫁時明鏡老猶在。  黄金鏤画双鳳背。 (後略) 」 「黄金鏤画」は金銀平脱技法の鏡(下写真参考)、 「双鳳背」は2匹が一組となった鳳が背面に表された鏡のこと。 こうした、双鳳鏡が嫁入り道具として用いられたことがわかります。 <参考> 千石コレクション 金銀平脱 鳳凰紋鏡(図録293) (金銀の板を紋様の形に切り抜き、鏡背面に漆で埋め込んでいる) 同上の鳳凰紋 千石コレクション 双鳳瑞花紋八花鏡(立体画像 図録272) 鳳凰が向かい合う双鳳(同上) ちなみに、我が家の結婚では、嫁入り道具を入れるとき、 鏡(鏡台)を一番に入れました。 なにやら、「そうするもの」だそうです。 来館者

チューリップと団華紋鏡

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今年は例年より早い見頃となっています、フラワーセンターのチューリップ。 今、真っ盛りです。 4月14日(土)・15日(日)は天候が悪いようで、土曜日の午前中が見頃になりそうです。 きれいに咲き誇るチューリップを見ていると、ある鏡を思い出しました。 現在展示中の隋~唐(6~7世紀)の団華紋鏡(だんかもん きょう)です。 団華紋鏡(図録188) 「団華紋」とは、いろんなおめでたい花を複合し、円形にデザインされた紋様のことです。 その一部の団華紋を見ると、チューリップに似ていませんか? 団華紋鏡の内区の一部 フラワーセンターのチューリップ(4月12日撮影) 団華紋鏡のデザインには、これまでの中国にはない、西域からの影響が色濃く認められます。シルクロードからやってきた人と文化は、民族的な閉鎖性を越え、中国に新しい開放的で華麗な文化を作り出しました。 一方、チューリップの原産地はトルコ周辺 だそうで、有名なオランダへは16世紀になってから伝えられました 。チューリップの語源も、ターバン( チュルバン、tülbend ) からきているとの話もあるとか ( wikipedia情報)。 そう考えると、この団華紋のデザインにチューリップも影響を与えている可能性もあるかも。 今後も、注視していきたいと思います。

四神シリーズ⑥ 四神の効能

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四神は前漢から鏡の紋様に登場していますが、そこに記された文字(銘文)の中に、四神がもたらす効能について記されたものがあります。 方格規矩四神鏡のX線白黒反転画像 (新:約2,000年前、千石コレクション123) 同上拡大 「左龍右乕辟不羊。朱鳥玄武順陰陽。」 最初の文字「左」が逆字(左右反転した字。鋳造でつくるため、誤って逆字になることがある)になってますが、漢字なのでほぼ読めると思います。 ここで、「左龍」の「左」についてです。 中国では天子は北側に居り、そこから南を向きます(「天子南面」)。ですから、「左」とは東を指します。 同様に「右乕(虎)」の「右」は西を指します。 これは日本の京都でも同じで、東側を左京区、西側を右京区と呼ぶのと同じことです。なぜなら、京都、平安京も、唐の都、長安をまねているからです。 現在の地図では北が上になっているので、左京と右京が反対になっていますが、その理由は「天子南面」だからです。 話がそれましたが、つまり左龍=東の龍=青龍、右虎=西の虎=白虎、ということです。 さて、ここに記されている四神の役割は、それぞれが東西南北に居て周囲を守る、というような皆で一つの役割を果たすのではないようです。東西の青龍・白虎、南北の朱鳥(朱雀)・玄武がそれぞれペアになって別々の働きをするようです。 まず、「青龍・白虎」ペアの働きは、「辟不羊」つまり「不祥をしりぞける」、良くないことをしりぞける、というものです。 もう一組の「朱雀・玄武」ペアは、「順陰陽」つまり「陰陽をととのえる」、陰と陽を調和し、天変地異がおこらないように穏やかに循環させる、というものです。 当館では、これまでに四神を一つずつデザインしたオリジナルの缶バッジを配布してきましたが、そもそもペアでそろえないと効果が期待できないことになってしまいます。 ぜひ、次の機会にペアをそろえて、四神の効果を発揮させてください。 東西ペア「辟不祥」の缶バッジ 南北ペア「順陰陽」の缶バッジ <参考文献> 来村多加史 2005『キトラ古墳は語る』日本放送出版協会 岡村秀典 2017『鏡が語る古代史』岩波書店

四神シリーズ⑤ 四神のはじまり

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四神はいつ頃から登場するのでしょうか? 1987年、中国の河南省濮陽県の西水玻遺跡で貝殻を並べて描かれた絵が発見されました。 新石器時代中期(仰韶文化:紀元前4,000年頃)のお墓にともなうもので、頭を南に向けた遺体の両脇に絵が表現されており、右側(東側)は龍、左側(西側)は虎と考えられています。 また、足元(北側)には、骨と貝でヒシャク形を表した絵も見られます。 (濮陽市文物管理委員会等 1988「河南濮陽西水玻遺址発掘簡報」『文物』第三期) この貝殻絵の「龍」と「虎」は、四神の「青龍」、「白虎」と同じ方位に配置されています。ヒシャク形の絵は北斗七星を表すともいわれています。 ただし、南北の朱雀、玄武は見られません。 戦国時代(紀元前5世紀頃)の曾侯乙墓(そうこういつぼ)出土の漆塗りの衣装箱にも、青龍と白虎が描かれており、二十八宿が示す方位とほぼ一致しています。ただし、朱雀、玄武は見られません。 描く場所がなかったため省かれたともいわれていますが、まだそろっていなかったのかも知れません。 曾侯乙墓出土の漆塗衣裳箱 (湖北省博物館編1989『曾侯乙墓』文物出版社) 文献を見ますと、『淮南子(えなんじ)』(紀元前139年に献上)に登場します。 東方木也・・・其獣蒼(青)龍・・・ 南方火也・・・其獣朱雀・・・ 中央土也・・・其獣黄龍・・・ 西方金也・・・其獣白虎・・・ 北方水也・・・其獣玄武・・・ 四神シリーズ④「四神ってなに?」にご紹介した五行や方位、色との対応も全く一致しています。 前漢の武帝の茂陵に関連する建築物に使用された塼(レンガ)や軒丸瓦の瓦当にも四神がそろって表現されていますので、このころまでには四神の顔ぶれが整ったようですが、固定化するようになるのは紀元後になってからのようです。 <参考文献> 林巳奈夫 1989『漢代の神神』臨川書店 林巳奈夫 1993『龍の話 図像から説く謎』中央公論社 来村多加史 2005『キトラ古墳は語る』日本放送出版協会 岡村秀典 2017『鏡が語る古代史』岩波書店

四神シリーズ④ 四神ってなに?

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ところで四神とはどういうものでしょうか。 奈良県明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳の壁画にもあり、絵を見れば「あぁ」と思われる方も多いはず。 「青龍(せいりゅう)」 東に配置 「白虎(びゃっこ)」 西に配置 「玄武(げんぶ)」 北に配置 「朱雀(すざく)」 南に配置 キトラ古墳の四神(一部復元) (来村2005より) デザインは時代や地域によって異なりますが、この4種類が方位に合わせて配置されていれば、四神とみて間違いないでしょう。 龍、虎、鳥、亀と蛇の5種類の獣をそれぞれ東西南北の方位に割り当てたもの(北だけ2種類の獣)で、五行説の影響を受けています。 五行説とは、戦国時代(紀元前250年頃)に体系化されたもので、すべてのものは「木」「火」「土」「金」「水」の5つの要素によって成り立ち、それらが相互に働きあって世界に様々なものが変化し、循環する、という考え方です。 五行説は天や自然の変化を説明する理論で、方位や色、季節にも影響し、自然界を秩序立てる枠組みにもなりました。 五行の割り当て表 この五行説によって、 東の龍が、東の色の青色となり「青龍」 南の鳥が、南の色の赤色となり「朱雀」 西の虎が、西の色の白色となり「白虎」 北の亀と蛇が、北の色の黒色となり「玄武」 となりました。  ※「玄」は「玄人(くろうと)」と読むように奥深い黒色の意味があります。 ちなみに、青春、白秋や、玄冬、朱夏などの言葉はこの五行説から生まれた熟語だそうです。 <参考文献> 来村多加史 2005『キトラ古墳は語る』日本放送出版協会 来村多加史 2008『高松塚とキトラ 古墳壁画の謎』講談社