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増築工事だより

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 12月に入り、内陸部にある加西市は冷え込む日も多く、かすかに雪化粧する日もありました。冬本番のこれからの時期、加西市は気球の季節を迎え、週末の朝に熱気球を見る機会も多くなります。 令和2年、古代鏡展示館は、新型コロナウィルス感染防止に加え、増築工事のためいつもの年と違う慌ただしい年でした。 工事は、春の完成を目指し、いよいよ佳境。作業の安全とともに新型コロナウィルス感染防止に注意しながら進めています。事務室で仕事していると、工具の音、機械の音、様々な工事の音が絶え間なく届きます。 寒い朝、冬晴れの空に気球が映えます。 ミキサー車からコンクリートがポンプ車へ送られます。その先は・・ 屋上へコンクリート流し込みを行っています。 遮るもののない吹きさらしの中での作業。   外からは見えませんが、建物内部の工事も進んでいます。 現在の古代鏡展示館(手前)と増築棟(奥)の床が繋がりました。 壁面や扉設置などの内装工事も並行して着手しています。  屋上へコンクリートを流し込み、ひさしなどの部分を除いて建物を造る工事はほぼ終了。 1月からはいよいよ建物内部の工事が本格的に始まる予定です。 古代鏡展示館は 春まで今しばらく休館が続きます。 令和3年春、新しい施設、新しい内容でオープンする古代鏡展示館にご期待下さい。

増築工事だより

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 古代鏡展示館が工事のため休館してはや2ヶ月半が過ぎました。 館の周囲の木々は落葉し、季節は冬、吐く息も白くなりました。 時々、当館目当てにフラワーセンターへお越しいただく方もいらっしゃいます。 毎回、臨時休館の説明をしてお帰り頂くのが申し訳ないです。 古代鏡展示館は令和3年春まで休館しています。 開館まで今しばらくお待ち下さい。 季節は冬へと進んでいますが、増築工事は、季節とは無関係に粛々と行われています。 現在、2階や屋上をつくるため、鉄筋や型枠を組む作業を行っています。 1階の室内はこれらを支える支柱がすき間なく設置され、入ることもできません。 1階壁面の型枠が外れ、階段やひさしが現れました 壁面は現在の施設と同様の石貼り風に仕上がっています 足場が継ぎ足され、工事は上へ上へと進められています

採石場跡(フラワーセンター内の歴史遺産5)

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 加西市内では、各所で石塔や石仏、古墳から掘り出された石棺材がみられます。播磨地域の石材は、高砂市を中心とする 竜山 (たつやま) 石 が知られていますが、加西市内でも竜山石と同じ凝灰岩の石材を産出していました。 市内のよく知られた石材産出地は、フラワーセンターと市街地の間の丘陵一帯から産出する 高室 (たかむろ) 石 、加西市南部の山塊から産出する 長 (おさ) 石 があります。古墳時代中期頃に高室石、それから少し時代が下り長石の産出がはじまりました。 このシリーズに何度も登場する飯盛山は岩山。中世から近世の時期に石材を産出し、一帯は 三ノ谷採石場跡 として遺跡登録されています。また、フラワーセンター大温室の裏山にも採石場跡が確認されています。飯盛山で産出する石材は、長石と同系統の火山礫凝灰岩と呼ばれるものです。 では、ここで産出した石材はどこへ運ばれたのでしょうか。 フラワーセンター東側の平野部に広がる 長塚 (ながつか) 遺跡 を発掘調査したところ、室町時代~戦国時代(16世紀)に石臼や五輪塔、石仏を製作した石材加工場跡が見つかりました。 三ノ谷採石場跡(A)と長塚遺跡(B)の位置 ●が古代鏡展示館(国土地理院1980年撮影の航空写真を加工) 長塚遺跡から出土した石製品 『加西市史第七巻 史料編Ⅰ 考古』から引用 岩石の特徴から、加工した石材は飯盛山付近で産出したことがわかっています。採石場と石材加工場が隣り合うことから、加西市内の石材加工の歴史を研究するうえで重要な遺跡と評価されています。 参考文献 加西市史編さん委員会編『加西市史第七巻 史料編Ⅰ 考古』加西市 2010年

増築工事だより

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  朝夕冷え込むようになり、紅葉が一段と美しくなりました。木枯らしや霜の便りが届き、間もなく古代鏡展示館の周囲も落ち葉が舞う季節をむかえます。 展示棟増築工事は、床のコンクリート打設に続いて、壁を立ち上げる工事を行っています。 新しい展示棟の周囲には壁をつくるための型枠と足場が巡り、外からは中の作業が見えなくなりました。 壁に型枠のない部分が建物の扉となる箇所、だんだん建物の姿が見えてきました。 映画のセットのようですが、建物内部の現在の様子。 作業員が忙しく行き来し、鉄筋の組上げと型枠工事が進んでいます。

増築工事だより

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 10月も終盤、フラワーセンターの木々も色づきはじめました。 加西市内有数の紅葉ポイント、モミジバフウの並木道も今年は増築工事の影響で少し見にくくなっています。紅葉を期待して来園された皆様、申し訳ございません。 増築工事は、展示室などの床の部分へのコンクリート流し込みへと進んでいます。 一面に張られた鉄筋 床に埋め込む電源配線を巡らせる工事も並行して行います 奥では、現在の施設との接続工事も始まりました コンクリートを流し込み、水平に整え終わりました。 この面が新しい展示棟の床になります。 コンクリートの乾燥を待つ間、壁を構築する準備を行います。 建物の周囲に足場が組み上がります。 次第に建物の姿が見えてきました。 私たち学芸員は、これからできあがる展示室内の展示プランを作成しています。 様々な作品を魅力的に鑑賞していただける工夫をいろいろと考えています。

日本での鏡のはじまり

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古代鏡展示館は、工事のため休館しています。 令和3年の春まで実物の鏡はご覧いただけませんが、休館中も古代中国鏡や工事や開館にむけての情報を発信してまいります。 9月12日のブログ「秋風 起こり・・・」では、鏡に表された前漢時代の男女の物語でしたが、今回は同じ時代、鏡を通した中国と日本のお話です。 安定した内政を背景に積極的な対外政策を進める漢王朝。その勢いは東へも向かいます。 紀元前108年、衛氏朝鮮を倒し、 楽浪郡 (らくろうぐん)を設置しました。 楽浪郡の役所は、漢王朝の出張所として、朝鮮半島や当時の日本、倭国の窓口となります。 日本史の授業で習う「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国をなす。歳時を以て来たりて献見すと云う」は、前漢の史書である『漢書』地理志に記述されたこの時代の記録です。 紀元前1世紀、日本では弥生時代中期。倭国の中枢である北部九州の有力者は、献上品を手に定期的に楽浪郡の役所を訪れ、返礼として王朝から下賜された品の中に鏡がありました。 日本での中国鏡の歴史がここから始まります。 倭国の有力者が手にし、墳墓に副葬されたものと同種の鏡が千石コレクションにあります。 彩絵人物車馬鏡 (図録76 前漢)径23.1㎝ 三雲南小路遺跡(福岡県糸島市)出土鏡と同種 草葉紋鏡 (図録87 前漢)径21.8㎝ 須玖岡本遺跡D地点(福岡県春日市)出土鏡と同種 これらはいずれも径20㎝を超える大型鏡。中国では、王朝の高位にある人物が所有するものでした。辺境の地、倭国からの朝貢を漢王朝は手厚くもてなしていたことがわかります。

増築工事だより

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 10月を迎え、すっかり秋の装いになったフラワーセンター。日中は暑さを感じますが、秋の花を愛でる来園者も増えてきました。 古代鏡展示館の増築工事は、地階の壁の構築を行っています。 ミキサー車からポンプ車を経て、コンクリートが壁となる型枠内に流し込まれています。 コンクリートを送り込むパイプの先に作業員が集まっているのは、型枠の中にすき間ができないようコンクリートを流し込むため。パイプを適切な位置に操作する、コンクリートに振動を加えるなどの作業を人力で行います。慎重さとともに、コンクリートが固まるまでの限られた時間内に行う必要がある作業。 多くの分野で自動化が進む昨今ですが、ここでは職人技が発揮されて工事が進んでいます。

増築工事だより

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夏の暑さ、台風の強風を乗り越え、古代鏡展示館の増築工事は順調に進んでいます。 建物の底にあたる部分がほぼできあがり、これからいよいよ建物の部分にとりかかります。 柱や壁になる部分にコンクリートを流し込むための型枠が建ち上がってきました。 型枠が建ち、足場が組み上がっています。工事は平面的な作業からから立体的な作業に移行してきました。 新しい建物の大きさも少しずつイメージできるようになってきました。

秋風 起こり・・・

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 台風の強風が過ぎ、セミの声が遠ざかり、秋の虫が鳴き始めました。 季節は着実に進んでいます。 今回は秋にちなんだ鏡です。 異体字銘帯鏡(清銀鏡) (図105 前漢) 現在展示中の 異体字銘帯鏡 には「秋風起」で始まる三言と七言の句を組み合わせた詩が表されています。この詩を読み下すと 秋風起こり、心は甚(まこと)に悲しむ。 時どき君を念(おも)い、立ちては徘徊す。 常に客居し、中国に游(ゆう)を為す可(べ)からざるを思い、侍して来たり帰らん。 清らかな銀と銅の華を以て鏡を為(つく)り、衣服を照らし察(み)て容貌を観(み)る。 糸と組(くみひも)は雑(まじ)われり。 文中にある「中国」とは国の中心=都の意味。当時の都長安に住む女性が、遠くへ旅立ち、帰らない夫を案じる詩。現代風に言えば「世界の中心で愛を想う」でしょうか。 この鏡が制作されたのは、紀元前2世紀の終わり頃、第7代皇帝 武帝 の時代です。国政が安定し、積極的な国土の拡張が進められた時代でした。 国土の拡張の裏には、地方行政を担う役人として、また兵士として辺境の地へ派遣された多く男たちがいました。 暑い夏から涼やかな秋への季節の移ろい、都に残された妻と遠方へ旅立った夫、たて糸とよこ糸にたとえた男女の仲など対比が際立つこの詩に当時の女性は共感し、鏡の銘文として採用されたのでしょう。 今回紹介した鏡は、訳文を添えて現在展示中です。漢字をデザイン化しているので読みにくいのですが、文字を追いながら前漢の女性の思いを感じて下さい。

増築工事が進んでいます

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 残暑厳しい日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。 8月の終わり、古代鏡展示館のある加西市の周辺では、国内最高の気温を記録しています。このような酷暑の中でも当館の増築工事は進んでいます。 現在は、建物の基礎部分を掘り下げる工事の真っ最中。大型建設機械が1日中動いています。 機械で大きく掘り下げても、最終的に床面を水平に整える作業は人力で行っています。 岩盤を砕きながら3m以上も掘り下げた場所もあります。掘り下げていくと思わぬ場所から記録されていないパイプが見つかり、大慌てする場面も。開園44年、フラワーセンターの歴史を実感してしまいます。 そして、9月がスタート。企画展「美と微」、スポット展示「麒麟のいる鏡」は9月22日(火・祝)まで。まだご覧になっていない方はお急ぎ下さい。 会期中、工事の内容によっては、展示室内に騒音が伝わる場合があります。ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますよう、お願いいたします。 今の展示が終了すると、 9月23日(水)から工事のため休館となります。ご注意下さい。

古墳(フラワーセンター内の歴史遺産4)

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 古代鏡展示館、県立フラワーセンターのある加西市には、全長約110mの前方後円墳である玉丘古墳をはじめ、約400基の古墳があります。 フラワーセンター内の古墳 (✰の場所が古代鏡展示館) 2009年国土地理院撮影 フラワーセンター園内にも山頂や尾根筋、丘陵の麓などに古墳が点在し、当館の裏山である飯盛山の遊歩道沿いでは4基の古墳を見ることができます。 飯盛山1号墳 (航空写真の➀) 飯盛山1号墳は、当館裏の飯盛山頂、展望台の北側にあります。写真ではただの茂みにしかみえませんが。 遊歩道沿いの古墳は、茂みの中にあるうえに規模が小さいので、古墳の調査に慣れていないと見逃してしまいそうです。 しかし、木々の葉が落ちる秋冬の時期には見通しがよくなり、古墳も見つけやすくなるでしょう。 豊倉7号墳 (航空写真の②) 豊倉7号墳は、当館の東側、しゃくなげ園付近にあります。花壇の工事中に石棺が発見されましたが、現在は埋め戻して保存してあります。 丘陵のふもとにある古墳は、豊倉7号墳だけです。しかし、大正時代に行われた加西郡の古墳調査では、「飯盛山麓円墳数個」と報告されています。本来は豊倉7号墳以外にも複数の古墳があったようです。 フラワーセンター内には、まだ知られていない古墳が眠っているのかもしれません。

旧海軍航空基地跡(フラワーセンター内の歴史遺産3)

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フラワーセンターの南東にある鶉野飛行場跡(旧海軍姫路航空隊基地跡)。最近では現存する戦争遺構の公開、戦闘機紫電改の原寸大模型やここを巣立った特攻隊員の記録とともに戦争遺跡として全国的に知れ渡り、フラワーセンターや古代鏡展示館とあわせて見学される方も多数いらっしゃいます。 今回はあまり知られていない航空基地跡のお話し。 1945年、本土決戦に備えて戦力を温存するため、航空基地の西側に航空機を隠す掩体とそれを結ぶ誘導路を建設する工事が急ピッチで行われました。平坦な台地上にある基地にとって飯盛山一帯は部隊を隠すのに適した周辺で唯一の場所。海軍はここに航空機を隠すだけでなく、丘陵の地下に指揮所や居住区など基地機能の一部を移転しようと考えたようです。工事は突貫で行われましたが、7月には米軍の空爆で死傷者もでたそうです。 そして8月15日、工事途中で終戦を迎え、本格的に基地として使われることはありませんでした。 1947年撮影 (白く帯状に延びる誘導路 矢印の位置が掩体(えんたい)) 2009年撮影 ※いずれも星(✰)の位置が当館 戦後31年を経て1976年に開園したフラワーセンターの敷地は、終戦間際に造成された誘導路などの跡を有効に利用しています。古代鏡展示館があるのは、1947年写真にある中央の掩体跡付近です。館の前の広い園路は、誘導路の痕跡を辛うじてとどめています。   防空壕跡(園路からの見学のみ可)     掩体跡(1947年写真左端の掩体)  亀ノ倉池岸の園路脇には掘削途中で放棄された防空壕跡が残っています。 唯一現存する掩体は、今日では職員駐車場として、敵機でなく来園者から車を隠すように利用されています。 今は四季の花の咲く平和な地も75年前、終戦間際の数ヶ月間、熱い戦いの場所だったのです。 【参考文献】 ・神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター 加西市教育委員会 編  『加西・鶉野飛行場跡(旧海軍航空隊基地)』 2011年 ・航空写真は国土地理院HPより引用して加工

ああ夏休み

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梅雨が明け、8月が始まりました。 フラワーセンターでは騒がしくセミが鳴いていますが、今年は虫かごを持った子供たちの姿をみかけません。まだ夏休みが始まっていない学校も多く、地域の夏まつりや花火大会もない、フラワーセンター恒例のイルミネーションもない、静かな夏が過ぎています。 当館で数多く展示している 海獣葡萄鏡 (かいじゅうぶどうきょう)は、古代中国の人々がシルクロードの彼方にある楽園をイメージしたと考えられる鏡です。ライオンをモデルにしたおめでたい獣である海獣、ブドウ唐草、鳥などが鏡背面にぎっしり描かれています。 海獣葡萄鏡(唐 図220) よく見るとチョウ、ハチ、トンボなどの昆虫が描かれた鏡もあります。 海獣葡萄鏡(唐 図226) 中には小さくセミが描かれた鏡も。(真上からやや左に横向きに描かれています) 現代の私たちが見ると、海獣葡萄鏡にはトンボ、セミ、ブドウなど夏の魅力が凝縮されているように思えます。 海獣葡萄鏡(図220)に描かれたトンボ 紋様のうち羽根のある鳥や昆虫は、飛ぶことで天に通じ、昆虫が幼虫→サナギ→成虫と変化する姿は不死や再生を象徴する、と考えられています。一方で、隠し絵的に描かれた姿は職人の遊び心だとの説も。個人的にはこの説が好きですが。 今回紹介した鏡は、古代鏡展示館正面奥の海獣葡萄鏡コーナーで展示しています。 唐の時代に数多く制作され、日本にも持ち込まれた海獣葡萄鏡。鏡背面の紋様をしっかり観察したら、何か発見があるかもしれません。

古代鏡展示館増築工事が始まりました

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7月ももう終盤ですが、まだ夏休みが始まらない学校も多く、梅雨も長引いています。新型コロナも心配。猛暑は勘弁願いたいですが、夏の到来が待ち遠しい今日この頃。 小雨降る梅雨空の下、7月25日に古代鏡展示館の増築工事が始まりました。 まずは本格的な工事を前に、工事会社の現場事務所とフェンスの設置工事から。 フラワーセンターの名所、モミジバフウの並木道の一部を無粋なフェンスで封鎖するのは心苦しいのですが、園内ご利用の皆様の安全確保のため、とご理解いただきたく存じます。 通路は狭くなりますが、これまでどおりに並木道の散策は行えます。 これから安全に工事を進めてまいりますので、皆様のご協力をお願いいたします。

サビの話

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梅雨の日が続きます。じめじめした湿度の高さは、文化財の大敵であるカビとサビの発生する原因にもなります。今回は、金属の大敵とされるサビについてのお話です。 千石コレクションの銅鏡は保存状態の良好なものが多いのですが、大部分の鏡に多少なりともサビが認められます。 よく「なぜ展示している鏡のサビをとらないのですか?」とのご質問をいただきます。 銅に発生するサビは、その色合いから 緑青 (ろくしょう)と呼ばれています。緑青はその色合いがいい味を出している、という見方もありますが、美しく細密な紋様がサビで隠れてしまうと台無しだ、との意見もあります。 蓮花柘榴紋八花鏡 (唐 図273) (9月22日まで展示中) 当館が緑青をそのまま残しているのには理由があります。 まず、緑青は良いサビだからです。 緑青はサビの原因の1つである酸素に触れる金属の表面にのみ発生します。そしてサビの皮膜によって金属内部を腐食から保護する効果があるのです。緑青に覆われた屋外の古い銅像が朽ちてしまわないのはこのためです。 次に、本来なら朽ちて残らない布などの有機物がサビに取り込まれることで、残っていることがあるためです。 貼銀鍍金双獣双鳳紋八稜鏡には、鈕に通した紐が残っています。 貼銀鍍金双獣双鳳紋八稜鏡 (唐 図244) 鈕の両側(矢印)に紐が遺存しています。 (現在展示していません) 他にも 鏡を覆っていた布などがサビで残された例もあります。 サビを取り去ると鏡の表面に残っている有機物の資料も損われてしまいます。緑青は良いサビなので、紐や布など微細な資料が含まれる可能性を考慮してあえて現状のまま残しているのです。 もちろん銅にとって悪いサビもあります。それが見つかると当然取り除くことになりますが、まずは温度・湿度を管理するなど、サビが現状よりも進行しない環境づくりにつとめています。

ナゾの紋様

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中国では、戦国時代(前453~前221)以降銅鏡の制作がさかんになります。 この頃の銅鏡は、鏡背面に細かい地紋を施し、その上に主紋様を表すのが特徴です。 四獣四山字紋鏡 (図56 戦国時代) (9月22日まで展示中) 写真の鏡は、地紋の上に表した漢字の「山」のような形をした4個の紋様を主紋様とし、その間に4体の獣像を配置しています。 漢字文化圏に暮らす私たちが見ると、「山」にしか見えない紋様。この時代には漢字の「山」はまだ存在していません。だから「山」は文字ではなく紋様( 山字紋 )であり、これをを主紋様とする鏡なので、 山字紋鏡 と呼んでいます。 では、山字紋は何を表しているのでしょうか。 まず紋様の見方です。鈕のある中心から見れば「山」字形。こちらの見方が主流ですが、鏡の縁部から見て「T」字形だと言う研究者もいます。 紋様の解釈も諸説があります。文字どおり山岳を表している、青銅器に描かれた雷紋から派生した紋様等々、いまだに決着していません。 山字紋鏡は、戦国時代後期(前3世紀頃)に盛んに制作されました。鏡背面に表される山字紋の数は3~6個の4種あり、例えば3個なら三山字紋鏡と呼んでいます。 五山字紋鏡 (左)と 六山字紋鏡 (右) (図59)    (図58) 五山字紋鏡や六山字紋鏡は、山字紋の配置から星(✰・✡)を表しているようにも見えます。 千石コレクションには山字紋鏡4種全てがあります。現在は1面のみ展示していますが、各種類を順次展示しています。シンプルながらも謎を秘めた「山」の字のような紋様。さて、あなたの解釈は・・・

本日から開館します

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6月1日、本日から古代鏡展示館は開館しました。 月も変わり、社会も徐々に日常を取り戻しつつある中での再出発。 開館にあたり、博物館として「新しい生活様式」を取り入れています。 入館の際はマスクを着用して下さい。 入口やトイレ・展示室前に消毒剤を設置していますので、ご利用下さい。 また、入館の際、検温と連絡票へのご記入をお願いしています。 連絡票は、新型コロナウィルス感染者の入館が判明した際の連絡に用います。ご協力をお願いいたします。 長らく中断していた企画展「美と微 美の集積と技巧の微」も再開しました。 なお、展示室内での感染防止やお客様同士の距離を確保するため、 ご好評だった拡大モニターの休止や椅子を減らすなど一部サービスを停止しています。 古代鏡展示館としても初めての試み。スタッフも喜びと不安が入り交じって開館日を迎えました。 ご来館の皆様にはご不便をおかけいたしますが、どうかご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

6月1日 から開館します!

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新型コロナウィルス感染症の拡大に伴う長い臨時休館が終了します。 古代鏡展示館はいよいよ 6月1日(月)開館 いたします。 季節も春から初夏が過ぎ、もう夏、一足早く開園したフラワーセンターの賑わいを横目に、開館の準備を進めてまいりました。 企画展「美と微 美の集積と技巧の微」も再開。秀麗高雅な鏡がご来館をお待ちしています。 開館にあたり、皆様にお知らせいたします。 感染予防のため、館内で提供していたサービスを当面の間一部制限いたします。 また、以下のことについて、皆様のご協力をお願いいたします 1 当館への入館条件をもうけます   ・ 発熱(37.5度以上)のないこと (入館時に検温を行います)   ・ 風邪症状、味覚及び嗅覚異常等のないこと   ・ マスクを着用すること 2  入館時に「連絡票」に連絡先をご記入いただきます。   ※感染者の入館が判明した際の連絡に使用します 3 入館後ご協力いただくこと   ・手指消毒やこまかな手洗い   ・他の来館者との距離(1~2m)の確保   ・館内での会話を控える   ・混雑時に入館制限する場合があります。 なお、当館スタッフはマスク着用などの衛生対策及び健康観察を行い、業務に従事いたします。 ご不便をおかけしますが、来館される皆様が、安全に、安心して当館をご利用いただけるよう、ご理解とご協力をお願いいたします。 6月1日に皆様にお会いできることを楽しみにしてお待ちしております。