旧海軍航空基地跡(フラワーセンター内の歴史遺産3)

フラワーセンターの南東にある鶉野飛行場跡(旧海軍姫路航空隊基地跡)。最近では現存する戦争遺構の公開、戦闘機紫電改の原寸大模型やここを巣立った特攻隊員の記録とともに戦争遺跡として全国的に知れ渡り、フラワーセンターや古代鏡展示館とあわせて見学される方も多数いらっしゃいます。

今回はあまり知られていない航空基地跡のお話し。
1945年、本土決戦に備えて戦力を温存するため、航空基地の西側に航空機を隠す掩体とそれを結ぶ誘導路を建設する工事が急ピッチで行われました。平坦な台地上にある基地にとって飯盛山一帯は部隊を隠すのに適した周辺で唯一の場所。海軍はここに航空機を隠すだけでなく、丘陵の地下に指揮所や居住区など基地機能の一部を移転しようと考えたようです。工事は突貫で行われましたが、7月には米軍の空爆で死傷者もでたそうです。
そして8月15日、工事途中で終戦を迎え、本格的に基地として使われることはありませんでした。
1947年撮影
(白く帯状に延びる誘導路 矢印の位置が掩体(えんたい))

2009年撮影
※いずれも星(✰)の位置が当館

戦後31年を経て1976年に開園したフラワーセンターの敷地は、終戦間際に造成された誘導路などの跡を有効に利用しています。古代鏡展示館があるのは、1947年写真にある中央の掩体跡付近です。館の前の広い園路は、誘導路の痕跡を辛うじてとどめています。

 防空壕跡(園路からの見学のみ可)
 
 
掩体跡(1947年写真左端の掩体) 

亀ノ倉池岸の園路脇には掘削途中で放棄された防空壕跡が残っています。
唯一現存する掩体は、今日では職員駐車場として、敵機でなく来園者から車を隠すように利用されています。

今は四季の花の咲く平和な地も75年前、終戦間際の数ヶ月間、熱い戦いの場所だったのです。

【参考文献】
・神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター 加西市教育委員会 編
 『加西・鶉野飛行場跡(旧海軍航空隊基地)』 2011年
・航空写真は国土地理院HPより引用して加工