日本での鏡のはじまり

古代鏡展示館は、工事のため休館しています。
令和3年の春まで実物の鏡はご覧いただけませんが、休館中も古代中国鏡や工事や開館にむけての情報を発信してまいります。

9月12日のブログ「秋風 起こり・・・」では、鏡に表された前漢時代の男女の物語でしたが、今回は同じ時代、鏡を通した中国と日本のお話です。

安定した内政を背景に積極的な対外政策を進める漢王朝。その勢いは東へも向かいます。
紀元前108年、衛氏朝鮮を倒し、楽浪郡(らくろうぐん)を設置しました。
楽浪郡の役所は、漢王朝の出張所として、朝鮮半島や当時の日本、倭国の窓口となります。
日本史の授業で習う「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国をなす。歳時を以て来たりて献見すと云う」は、前漢の史書である『漢書』地理志に記述されたこの時代の記録です。
紀元前1世紀、日本では弥生時代中期。倭国の中枢である北部九州の有力者は、献上品を手に定期的に楽浪郡の役所を訪れ、返礼として王朝から下賜された品の中に鏡がありました。
日本での中国鏡の歴史がここから始まります。

倭国の有力者が手にし、墳墓に副葬されたものと同種の鏡が千石コレクションにあります。

彩絵人物車馬鏡(図録76 前漢)径23.1㎝
三雲南小路遺跡(福岡県糸島市)出土鏡と同種


草葉紋鏡(図録87 前漢)径21.8㎝
須玖岡本遺跡D地点(福岡県春日市)出土鏡と同種

これらはいずれも径20㎝を超える大型鏡。中国では、王朝の高位にある人物が所有するものでした。辺境の地、倭国からの朝貢を漢王朝は手厚くもてなしていたことがわかります。