漢字の歴史

新型コロナウィルス感染防止のため、学校の臨時休校から2ヶ月が過ぎました。思い起こせば、希望や不安を抱えて進級・進学したこの時期、ノートにひたすら書く漢字の練習が苦痛だったのを思い出します。
今回は我々になじみ深い漢字の歴史とともに、当館所蔵の古代中国鏡に記された文字(漢字)をご覧いただきます。

漢字は、文字どおり古代中国で発生した文字。伝説では、最初の王である黄帝に仕えた蒼頡(そうけつ)が砂浜に残る鳥の足跡を見て創作した、とされています。蒼頡は優れた観察力から4つの目がある姿で描かれ、後漢時代の神獣鏡にも登場します。


鍍金同向式神獣鏡(後漢 図156) 蒼頡と考えられる図像(左の人物)

考古学で文字が確認できるのは、商(殷)の時代(前1300年頃)。占いに用いた骨や甲羅に刻まれた甲骨文字(こうこつもじ)が最初です。続く周の時代(前1000年頃)には青銅器に記された文字(金文:きんぶん)がありました。この頃の文字は絵文字のような象形文字でした。
当館のロゴマークは、西周時代の金文を図案化したもの。容器の水に映る自分の姿を大きな目で見る様子を象っています。この文字が「監」、そして「鑑」になります。

社会が発展し、文字を書く必要性が増大すると、象形文字は書きやすい字形に改良されます。秦の時代(前200年頃)には文字の統一が行われ、今日の(てん)書体のもとになる小篆が公式書体になります。漢の時代にかけて(れい)書体が現れます。

鏡に文字が記されるのは、前漢の時代(前2世紀の中頃)から。
鏡の銘文に表された書体は、篆書体や隷書体とは異なる書体や略字もあります。

異体字銘帯鏡(前漢 図105) 銘文の一部「秋風起心甚悲」
漢字のもつ視覚的なデザインを強調しています。

 
鍍金方格規矩四神鏡(新 図123) 銘文の一部
                  「長保二親楽富昌」

隷書体を改良した(かい)書体が、隋から唐の時代(6世紀)頃までに成立します。

瑞花対獣紋鏡(隋ー唐 図193) 銘文の一部 
               「月似輪廻」


漢字は中国の対外政策の広がりとともに周辺国へ伝播し、漢字文化圏を形成しました。
今日、本家中国では漢字を簡略化した簡化字(簡体字)を用い、ベトナムなど漢字をやめた国もあります。一方で、日本はかな文字と併用しながら、旅券や日本銀行券(紙幣)の中で篆書体を用いるなど、漢字の伝統を継承しています。

今回紹介した銅鏡は、企画展示、常設展示に出陳しています。
博物館が開館しましたら、古代中国の人々が記した文字をぜひお確かめ下さい。