鏡にあらわされた龍と雲
みなさまお元気でお過ごしでしょうか?
2024年(令和6年)12月、辰年もまもなく終わろうとしています。
今年の初めに干支の辰年にちなんでご紹介しました雲龍紋八花鏡(図録283)の記事では、雲龍紋八花鏡(うんりゅうもんはっかきょう)の図像と『易経』の「雲従龍、風従虎(雲は龍に従い、風は虎に従う)」について取り上げました。
そこでは、龍と雲は”類友”といえ、鏡に描かれた雲の紋様「飛雲紋(ひうんもん)」は、めでたい兆しを表わす雲、「景雲(けいうん)」(=瑞雲・慶雲)を表わすというお話をしました。
辰年の最後に取り上げるのは、秋季企画展『龍虎の鏡』で展示中の、雲龍紋八花鏡(図録284)と、「龍と景雲」についてです。(前の記事とほぼ一緒やん!)
雲龍紋八花鏡(図録284/唐 8c/径15.8cm/重598g)
★令和6年度秋季企画展『龍虎の鏡』にて展示(令和6年12月19日まで)
※前回記事の雲龍紋八花鏡(図録283)と同じように見えますが、見比べると龍と雲の表現だけでなく様々な違いが見えてくると思います。鏡の縁の形とかも少し違いますよ。
雲龍紋八花鏡(図録284)の龍と景雲の表現
★令和6年度秋季企画展『龍虎の鏡』にて展示(令和7年3月9日まで)
さて、前回記事では、龍と景雲の関係を示す文献として、唐時代の孔穎達(くようだつ)〈574~648年〉が『易経』文言伝を解説した『周易正義』に記した
「龍吟則景雲出(龍吟ずれば則ち景雲出づ)」、
「虎嘯則谷風生(虎嘯(うそぶ)けば則ち谷風生ず)」を取り上げました。
実は、これよりも龍と景雲の関係を示す古い文献として『淮南子(えなんじ)』という漢時代の思想書があります。※『淮南子』:前漢中期(前2c中葉)の劉安の編纂
●『淮南子』天文訓 には、次のように説明されています。
「物類相動、本標相応。故・・・。虎嘯而谷風至、龍挙而景雲属。」
【読み下し】
物類相動き、本標(ほんひょう)相応ず。故に・・・。虎嘯(うそぶき)て谷風至り、龍挙(あが)りて景雲(けいうん)属(あつま)る。
【意訳】
万物のはたらきは、本と末(本質とその現象)とが相応じている。ゆえに・・・・。虎が吼えると谷風が吹き、龍が天に昇ると景雲(瑞雲=めでたい兆しをあらわす雲)が集まる。
※参考・原文典拠:楠山春樹1979『淮南子(上)』明治書院
この文では、万物のはたらきはそれに応じた結果が起こること説明しています。
その主張を裏付けるためのたとえとして、『易経』の「雲従龍、風従虎」の考え方に基づき、さらにそれを解釈して、龍と虎の行動がそれぞれ雲と風を起こす、と記されているように読み取れます。
しかも、龍の場合は、ただの雲ではなく「景雲」という瑞祥(ずいしょう)の要素が加わっています。(※瑞祥:めでたいことがおこる兆し)
さらに、唐時代の『周易正義』では、「龍吟則景雲出(龍吟ずれば則ち景雲出づ)」、すなわち龍が鳴くと景雲が出現するとしてますが、
漢時代『淮南子』天文訓では「龍挙而景雲属(龍挙(あが)りて景雲(けいうん)属(あつま)る)」、すなわち龍が天に昇ると景雲が集まると表わされています。
ここで雲龍紋八花鏡(図録283・284)の龍と景雲の表現を見ると、鏡の鈕(ちゅう:紐を通す中央の突起)を中心としてその周囲には、龍が口を開き、躍動的に四肢をを広げて体をうねらせており、さらにその周りを飛雲紋が旋回するように表わされています。
まさしく、天に昇る龍が咆哮し、その周りに景雲が出現して集まる様子が表わされているといえます。
そして、その意味については筆者は次のように読み解きます。
このブログの記事では一切説明していませんが、鏡のメインとなる紋様の龍は皇帝を象徴する「飛龍(ひりゅう)」を表わしていると考えられます。そして、その周りに集まる「景雲」は皇帝の徳に感応して出現した瑞祥であり、皇帝の治政を称える意味が込められていたと考えることができるのではないでしょうか。
触れてなかったこの飛龍と皇帝との関係や、龍だけが表わされた「龍紋の鏡」、なぜ虎が表わされなかったのか、などなどのお話については、
年が明けた2025年(令和7年)1月11日(土)に古代鏡展示館秋季企画展「龍虎の鏡」講演会にてお話する予定です。
ご興味がある方は是非是非講演会にご参加ください。
(講演会については古代鏡展示館のHPのお知らせをご確認ください。)
2024年最後の記事投稿です。皆様良いお年をお迎えください。
(K)
20241217作成