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展示室内の機械

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当館を見学されるお客様から、展示室内にあるこの機械は何ですか?とのご質問をいただきました。 中には「地震計?」とおたずねの方も。 正解は、「温湿度記録計」。展示室内の温度と湿度の変化を記録する機械です。 右側の部分で測定した温湿度を左側の用紙に記録しています。 展示室内は、1年中気温22℃、湿度50%前後で空調管理されています。 一定の温湿度で管理している理由は、お客様が快適に見学していただくためではありません。 博物館の仕事は、資料を多くの方々にわかりやすく見学いただくことですが、貴重な資料を未来へ継承していくことも重要な使命です。 当館の資料の大半を占める銅鏡をはじめとする金属は錆が大敵。そこで、錆による劣化の進行速度を鈍らせるため、金属が良好な状態を維持できる温湿度を設定しているのです。 とはいえ、気温22℃、湿度50%は、兵庫県では4月下旬頃のさわやかな気候とほぼ同じ。ぜひ心地よい空間で古代中国の人々の思いを感じて下さい。 また、フラワーセンター散策の際、夏のクールスポット、冬のホットスポットとしても当館をご利用下さい。

「令和」によせて

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4月で平成の時代が終わり、5月1日に令和元年が始まりました。 新元号「令和」の出典は『万葉集』からだそうです。 西暦730年(天平2)年1月、九州は太宰府長官であった大伴旅人の邸宅で梅の花見の宴が催され、そこで披露された和歌をまとめた序文の一節「初春の 令 月にして、気淑く風 和 ぎ」から引用されています。 序文はこの後に「梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」と続きます。ここでは、当時まだ珍しかった梅花の白さを鏡の前にある白粉にたとえています。 鏡は、日本では弥生時代に伝わって以降、権威の象徴や宝器としての性格を帯びていました。しかし先進的な唐の文化や文物を積極的に摂取した7世紀以降、多くの唐鏡がもたらされ、それを模した国産鏡も制作されます。唐の文物を摂取する中で貴族の装いにも変化がみられ、鏡は本来の用途である化粧道具として用いられ始めます。 唐鏡を代表する海獣葡萄鏡は、奈良県に所在する高松塚古墳(7世紀末)、杣之内(そまのうち)火葬墓(8世紀初頭)などに副葬されていました。この時代の墳墓に副葬された海獣葡萄鏡は、権威の象徴という性格ではなく被葬者の生前の愛用品だった、と考えられています。   海獣葡萄鏡  左:高松塚古墳出土鏡と同型鏡(図221)  右:杣之内火葬墓出土鏡と同型鏡(図225)  万葉集に表された鏡が海獣葡萄鏡か不明ですが、中国では盛唐の時期にあたる8世紀前半、我が国の歌人がイメージした鏡は化粧の場にあるものとして共通認識できたのでしょう。 令和の時代も当館は、鏡やそれに関連する文化について情報発信してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。