仙人王子喬と鳳凰の鳴声
みなさまお元気でお過ごしでしょうか。2025年も終わろうとしています。
今回のブログでは、秋季企画展『鳳凰は鏡に舞う』で展示する一枚の鏡の紋様について取り上げたいと思います。
その鏡は、「吹笙飛鳳紋八花鏡(すいしょうひほうもんはっかきょう)」です(図1)。
1.吹笙飛鳳紋八花鏡に表された紋様
| 図1 吹笙飛鳳紋八花鏡(唐/CE8C/図録288) |
紋様が少し分かりにくいので模式図を作成してみました(図2)。
| 図2 吹笙飛鳳紋八花鏡の鏡背紋様の模式図 |
鏡背面の紋様には、中央の鈕(ちゅう)を挟んで、右側には両翼を広げた鳳凰、左側に「笙(しょう)」という楽器を演奏する人物、上側には竹林、下川には山岳の図像が配置されています。
右側の鳳凰は、長く大きな尾羽(鳥類学でいう上尾筒)を後に靡(なび)かせて、画面左下方に向かって飛来するかのように表現されています。
そして注目したいのが、左側にいる、頭部に二つの髷のようなものをもつ人物です。何かに腰を掛け、両手で「笙」を持ち、笙からのびるパイプを口にくわえて音を奏でている様子が表現されています。
笙というのは、リードの付いた竹管10数本を共鳴器の上に差し込んだ管楽器です(図3)。竹管の様子が羽根をたたんだ姿に似ていることから「鳳笙(ほうしょう)」の美称もあります。そして、共鳴器に息を出し入れするための湾曲したパイプが接続しています。ちなみに日本に伝わり現代の雅楽などで用いられる笙にはこのパイプ部分がない形になっています。
| 図3 笙の模式図 |
この笙を演奏する人物は、「王子喬(おうしきょう)」(※1)という仙人がモチーフになっていると考えられます。
(※1):王子喬という仙人の図像は、古くは漢時代の鏡でも赤松子(せきしょうし)という仙人の図像とともに表される例があります。
2.仙人王子喬と鳳凰の鳴き声
2-1.仙人王子喬
後漢時代以降の成立が推定される『列仙伝』は、古代中国にいたとされる仙人(神仙)の伝記を集めた書物です。そこには、王子喬について次のようなエピソードが記されています。
『列仙伝』「王子喬」の通釈(※)
「王子喬」
「王子喬は、周の霊王の太子の晋(しん)である。笙を吹くのが好きで、鳳凰の鳴き声を出した。伊水・洛水の辺りを巡ったが、道士の浮邱公(ふきゅうこう)が王子喬を受け入れ、嵩高山(すうこうざん)に登った。それから三十年ばかりあとに、人々が山上で王子喬を探していると、桓良(かんりょう:人物名)の前に現れ、「私の家族に告げてくれ。七月七日、私を緱氏山(こうしさん)の頂上で待て」と言った。その日になると、王子喬は果たして白い鶴に乗り、山上に舞い降りた。遠くから見えるが、そばまで行くことはできない。王子喬は手を挙げて当時の人々に別れのあいさつをし、数日後に去って行った。人々も緱氏の山すそと嵩高の頂にほこらを建てた。」
※〔引用〕:前野直彬1975『全釈漢文大系 第三十三巻 山海経・列仙伝』集英社 ただし、( )内の読み仮名等はブログ執筆者追記。
概略としては、王子喬は、浮邱公という道士、すなわち神仙術を修めた仙人とともに嵩高山に登り、約30年の修行を経て仙人となり人々に別れを告げて去って行った、というエピソードになるかと思います(※)。
※王子喬の仙人としての話については、次の文献に詳しい。大形徹1992「松喬考 赤松子と王子喬の伝説について」『大阪府立大学紀要(人文・社会科学)』第40巻 大阪府立大学
長寿の象徴でもある鶴に乗って現れる様子は、仙人の不老不死の特性を見た目に分かりやすく表現しているようにも感じ取れます。
注目されるのは、王子喬は笙の演奏が好きで鳳凰の鳴き声を出すことができたということ。
ですが、鳳凰が出現したとは記されていません。
そこで手がかりとなるのが、学荘村彩色画像塼墓(河南省鄧州市)から出土した画像塼(がぞうせん※)です。南朝期の5世紀後半に位置付けられています。
※画像塼(がぞうせん):墓室の壁面などを構築するのに用いる紋様や図像が施された煉瓦(れんが)の一種。
都合により画像塼の図像部分について簡易的な模式図を作成しました(図4)。
| 図4 王子喬と浮丘公と鳳凰が表された画像塼の図像部分の模式図(※) |
この画像塼には、中央に両翼を広げ、尾羽を翻した姿が鳳凰があります。画面上部から鳳凰の尾羽の外側、足下に向かって次第に線が太くなる曲線が複数描かれています。この複数の曲線は空気の流れを表現するものとみられ、鳳凰が羽を広げて天より飛来する様子が窺えます。
そして、左側に腰を掛けながら笙を吹く人物、右側に扇のような物をもって直立する人物の図像が表され、それぞれの横には「王子橋」、「浮丘公」という名前が細い突線で記されています。
人物の名前は前掲の『列仙伝』に所収されたエピソードと共通しており、これらの画像のモチーフはこれに由来していることが分かります。
これによって、飛来する鳳凰の左側で笙を吹く人物が仙人「王子喬」だということが分かります。
右の浮丘公(浮邱公)とともに仙人の修行をしている様子を表現しているのでしょうか。
いずれにせよ、画像塼は5世紀後半のものとされていることから、8世紀の鏡に王子喬と鳳凰が施されるより前にすでにこのモチーフが存在していることになります。
鳳凰が飛来する様子を図像に表すようになったのがいつ頃からなのか不明ですが、画像塼が製作されていた頃には、こういった『列仙伝』のエピソードをモチーフとした笙を吹く王子喬と飛来する鳳凰の図像は広く知られていたといえます。
2-2.鳳凰の飛来と鳳凰の鳴き声
それでは、なぜ鳳凰は飛来するように表されたのか。
王子喬には、笙を演奏して鳳凰の鳴き声を出したという前掲のエピソードがあります。
とすると、鳳凰は王子喬の出した鳳凰の鳴き声にひかれて飛来したのでは?と思い浮かびます。
実は『列仙伝』にはもう一つ鳳凰の鳴き声と鳳凰の出現に関する「簫史(しょうし)」というエピソードがあります。
『列仙伝』「簫史」の通釈(※)
「簫史(しょうし)」
「簫史は、秦の穆公(ぼくこう)の時代の人である。簫を吹くのが上手で、孔雀や白い鶴を庭に呼び寄せることができた。穆公には娘がいて、字(あざな)を弄玉(ろうぎょく)といったが、簫史にほれこんだ。そこで、公はこの娘と史を結婚させた。史は毎日、弄玉に簫で鳳凰の鳴き声を出すことを教えたが、こうして数年経つと、弄玉の吹く簫は鳳の声に似てきた。すると鳳凰が飛んできて、二人の家の屋根に止まった。穆公が二人に鳳台(ほうだい)を作ってやったところ、夫婦はその上に住み、数年間降りてこなかったが、ある日、二人とも鳳凰のあとについて飛び去った。このため秦の人々は雍宮(ようきゅう)の中に鳳女(ほうじょ)の祠を作ってやったが、ときおり簫の音が聞こえるだけであった。」
※〔引用〕:前野直彬1975『全釈漢文大系 第三十三巻 山海経・列仙伝』集英社 ただし、( )の読み仮名はブログ執筆者追記。
このエピソードでは、楽器の簫(しょう)を吹いて鳳凰の鳴き声を出せるよう練習を重ね、似てくるようになると鳳凰が飛んできたという話になっています。
やはり鏡や画像塼の鳳凰の姿は、笙の演奏によって出した鳳凰の鳴き声によって鳳凰が飛来してきた場面が描かれている可能性がありそうです。
3.鳳凰の鳴き声と古代中国の音楽について
鳳凰の鳴き声にまつわるもう一つの話も鳳凰の飛来に関係するかもしれません。
その前にまず古代中国の音楽に関する話を 徳留勝敏さんによる「音律の音階の話し」(徳留2021※)を参考に見ていきたいと思います。
※徳留勝敏2021「音律と音階の話し」『東亜大学紀要』第33号 東亜大学
3-1.古代中国の音楽理論 ―十二律、五声・五音、律呂―
古代中国の「楽(がく)」(音楽)の理論には、「十二律(じゅうにりつ)」と「五声(ごせい)」または「五音(ごいん)」というものがあります。
十二律(じゅうにりつ)(表1)
1オクターブ(※)の音域の中に互いに概ね半音間隔の音程をもって収められた12個の音律のことです。調和のとれた響きを導くために規則性をもって1オクターブの音域の中に12個の音の高さを配分した定規のようなものになります。なお、現代の音楽では、半音間隔を均等配分した「12平均律」があります。
※1オクターブ:ある音から、その音の2倍(または1/2)の周波数までの範囲のこと。ある音から数えて8度上(または下)の音の高さになる音程のこと。たとえば「ドレミファソラシド」の1~8度の音であれば、1度の「ド」から8度の「ド」まで。
十二律の音名には、低音から順に
「黄鐘(こうしょう)・大呂(たいりょ)・太簇(たいそう)・夾鐘(きょうしょう)・姑洗(こせん)・仲呂(ちゅうりょ)・蕤賓(すいひん)・林鐘(りんしょう)・夷則(いそく)・南呂(なんりょ)・無射(ぶえき)・応鐘(おうしょう)」
があります。
現代の我々に馴染みのある「ドレミファソラシ」(「CDEFGAB」)に当てはめると、それぞれ
「ド・♯ド・レ・♯レ・ミ・ファ・♯ファ・ソ・♯ソ・ラ・♯ラ・シ」
(「C・♯C・D・♯D・E・F・♯F・G・♯G・A・♯A・B」)
という音階と音名になります。
| 表1 十二律 |
五声(ごせい)・五音(ごいん)(表2)
宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・緻(ち)・羽(う)の五つの音のことです。十二律の内から5つの音を選んで秩序を持たせた音の並びで、これを音の高低によって並べると五音音階ができます。いわゆる西洋音楽で「スケール」と呼ばれるものにあたります。
たとえば、主音の「宮」に十二律の「黄鐘(こうしょう)」の音にあてると、「宮・商・角・緻・羽」には、それぞれ「黄鐘・太簇(たいそう)・姑洗(こせん)・林鐘(りんしょう)・南呂(なんりょ)」の音となります。
ドレミ・・(CDE・・)で表してみると、「宮」を現代の我々に馴染みのあるドを主音とした場合(「宮=ド」の場合)、「宮・商・角・緻・羽」は「ド・レ・ミ・ソ・ラ」(「C・D・E・G・A」)の音階と音名にあたります。
| 表2 五声・五音 |
同じ音に対して二つの音名があると混乱してしまいますね。
律(りつ)・呂(りょ)(表3)
そして、十二律の12個の音は、陰陽説に基づいて陰陽の2つに分かれます。12個の音のうち、陽にあたる奇数番目(1,3,5,7,9,11)の音が「律(りつ)」、陰にあたる偶数番目(2,4,6,8,10,12)の音が「呂(りょ)」となります。短調と長調のような区別をつけたものにあたります。
これらをあわせて「六律六呂(りくりつりくりょ)」と呼ばれています。
| 表3 六律六呂 |
3-2.古代中国の音楽理論と鳳凰との関係
ここで重要なのが、これらの音楽理論と鳳凰との関係性です。
前漢時代の説話集とされる『韓詩外伝』には、伝説の皇帝「黄帝(こうてい)」の質問に対して臣下の天老(てんろう)が答える場面のなかで、鳳凰の特徴について次のように記されています。
『韓詩外伝』(巻八 八)より抜粋(※)
「惟(た)だ鳳のみ能く天祉に通じ、地霊に応じ、五音を律し、九徳を覧(み)ることを為す。」(惟鳳為能通天祉、応地霊、律五音、覧九徳。)
※〔引用〕:吉田照子1993『韓詩外伝』明徳出版社 太字はブログ執筆者による。
鳳凰は「五音を律する」、つまり五音をはじめとする音楽の規範を設けて統制・管理する存在であると考えられていたことがわかります。
そして、後漢時代の班固(はんこ)が編纂した『漢書』律暦志には、鳳凰と音楽との関係性がもう少し具体的に記されています。
『漢書』「律暦志」より抜粋(※)
「声(せい)とは、宮・商・角・緻・羽の五声である。これは音楽をつくる所以のもので、八音を調和し、人の邪意をはらい滌(すす)」ぎ、正しい性情を純化し、気風を移し習俗を易(か)える物である。」
「五声の根本は黄鐘の律に生ずる。その管(ふえ)の長さ九寸を宮調とし、あるいは減らしあるいは増すことによって商角緻羽を定め、九六が生じる。これが陰陽の応験(しるし)である。律〔すなわち笛の音で定められた音階〕は十二で、その陽の六を律、陰の六を呂とする。・・・(中略)・・・。」
「古説では、相伝えて次のように言っている。黄帝が作ったものであり、黄帝は伶倫(れいりん)をつかわして、大夏の西、崑崙の陰(きた)からその解谷(かいこく)に生えている竹を取り、竹の竅(あな)の肉厚く均等なものを選び、節と節の間を切り取って竹管とし、これを吹いて黄鐘律の宮音とする。十二の竹管を制(つく)って鳳凰の鳴き声を聴き、その雄の鳴き声を六とし、雌の鳴き声もまた六とし、これを黄鐘律の宮音に比べ合わせて、みなこれを上下に相生ずることができ、これを律の基本とする。泰平この上もない世には、天地の気が合うて風を生じ、天地の風気が正しくて、十二律が定まる。」
※〔引用〕:小竹武夫訳1998『漢書2 表・志 上』筑摩書房,p189~191 太字はブログ執筆者による。
漢書に記された説話では、崑崙山の北側の谷に生える竹で作った竹管を吹いて奏でた音を、十二律の「黄鐘」とし、それを五声の主音の「宮」としており、さらにその音と鳳凰の雄の六つの鳴き声と雌の六つの鳴き声と比べていくことで、十二律の音を定めたことが述べられています。
これを踏まえると、十二律のうち、陽にあたる六律と陰にあたる六呂は、それぞれ鳳凰の雄と雌のそれぞれ六つの鳴き声が基準となったという考えがあったことが分かります。
さらに、以上の二つの文献の記述からすると、古代中国の音楽理論の基礎、五声・五音や十二律を設定し、管理していく基準に、鳳凰の存在とその鳴き声が大きく関連することが信じられていたといえます。
ここで、王子喬が笙を奏でて、鳳凰の鳴き声が出せたということ。
そもそも音楽の基礎として鳳凰の鳴き声に基づいた音律が定められており、これに基づいてしっかり調律された笙だからこそ、鳳凰の鳴き声が出せたともいえます。やはり王子喬が笙を吹いて奏でる鳳凰の鳴き声にひかれてと鳳凰が飛来したと考えるほうが理解しやすいかもしれません。
4.鳳凰がやってくるもうひとつの理由
実は音楽と鳳凰の出現が関係する話は、さらに古代中国の最古の文献のひとつともいわれる『書経』(尚書)にも見られます。
『書経』〈皐陶謨(こうとうぼ)〉抜粋※1
「簫韶(しょうしょう※2)九成して、鳳皇来儀(らいぎ)す。」(簫韶九成、鳳皇来儀。)
通釈「簫韶が九変すると、鳳凰〔まで〕が〔美しく現れて〕雌雄相並んだ。」
※1〔引用〕:加藤常賢1983『新釈漢文大系 書経 上』明治書院 読み下し文の( )内の読み仮名はブログ執筆者追記
※2 簫韶:伝説の帝王舜が作った音楽
『新釈漢文大系 書経 上』(明治書院)の通釈と語釈を参考に意訳すると、簫韶という音楽を変化させて九度演奏すると雌雄の鳳凰がやってくる。といったところでしょうか。さらに言えば、美しい、素晴らしい音楽を演奏すると鳳凰がやってくる、ということになります。
とすれば、鳳凰の鳴き声を出せる王子喬の笙の演奏がそもそも素晴らしかったため、鳳凰が飛来したとも言えるかも知れません。
5.改めて鏡背面の紋様について
以上の仙人王子喬と鳳凰の鳴き声の話をふまえて最初の鏡の紋様に話を戻します。
吹笙飛鳳紋八花鏡の紋様のモチーフが仙人王子喬のエピソードに由来するとすれば、上下の竹林と山岳は、仙人の住む世界、仙境を表しているとみられます。
想像をたくましくすると、仙境に独り笙を演奏する仙人王子喬のもとに、奏でられた鳳凰の鳴き声に似た音を聞きつけた鳳凰が飛来し、舞い降りてくる様子が描かれているように見えてきます。
それにしても、鏡を求めた当時の人々の間には、王子喬のように仙境に隠棲し、笙を楽しむ不老不死の仙人への憧れのようなものがあったのでしょうか。謎は尽きません。
【図表出典】
図1:当館撮影
図2~4・表1~3:ブログ執筆者作成
【引用・参考文献】
尾崎雄二郎ほか編2013『中国文化史大事典』大修館書店
中 純子2023「出土楽器が語る音の世界―笙―」『グローカル天理』286号 天理大学おやさと研究所
西村俊範2011「中・晩唐時代の鏡と日本への影響」『人間文化研究』(京都学園大学人間文化学会紀要 28)京都学園大学人間文化学会_p204~175
前野直彬1975『全釈漢文大系 第三十三巻 山海経・列仙伝』集英社