異体字銘帯鏡を読む2 古代中国の名前
異体字銘帯鏡(いたいじめいたいきょう)は漢字のもつ視覚的なデザインを強調した鏡で、紀元前1世紀頃に流行します。前回紹介した 異体字銘帯鏡(昭明鏡) の銘文をもう一度見てみましょう。 内請質以昭明、 光輝象夫日月。 心忽穆夫願忠、 然壅塞夫不 泄 。 この銘文は、紀元前2世紀後半頃に制作された銅鏡に登場し、紀元前1世紀代に盛んに用いられます。今回注目したいのは、第4句の最後の文字「 泄 」です。 異体字銘帯鏡(昭明鏡)の中の「泄」の文字 (向きを正位置に修正) 「泄」は「せつ」と読み「とおる」の意味がありますが、同じ銘文をもつ別の銅鏡の中には「徹」と記す例があります。同じ銘文で「泄」と「徹」の異なる文字が使われるのは、古代中国の名前に関するルールのためと考えられています。 古代中国の人々にも「姓+名」の名前がありました。 例えば、『三国志 』の主要人物である諸葛孔明(しょかつこうめい)は、諸葛亮(しょかつりょう)という名前も知られています。「諸葛」は姓で、2種の名のうち「亮」は本名にあたります。古代中国において「名」は霊的な意味があるものと信じられ、親や上司など目上以外の者が「名」を呼ぶことはタブーとされました。そこで、日常に用いる親しみや敬意をもった呼び名として「字(あざな)」が用いられます。「孔明」は、この「字」です。 「名」に関するルールの中でも皇帝の「名」に関しては厳格です。口にすることはもちろん、同じ文字の使用も禁じられ、同じ意味の別の文字に置き換えられることになります。 前漢の全盛期を築いた第7代皇帝武帝(ぶてい)の姓名は「 劉徹 (りゅうてつ)」。皇帝の名と同じ「徹」の文字は使用できないため、上記の銘文が本来用いた「徹」は同じ意味の「泄」に置き換えられることになります。つまり銘文に「泄」が用いられたこの銅鏡は、武帝が在位した紀元前141年~紀元前87年の間に制作されたものと考えられるのです。 この銅鏡は、春季企画展「漢代の人々-姿と想い-」で展示中。どうぞご覧下さい。