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10月, 2020の投稿を表示しています

増築工事だより

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 10月も終盤、フラワーセンターの木々も色づきはじめました。 加西市内有数の紅葉ポイント、モミジバフウの並木道も今年は増築工事の影響で少し見にくくなっています。紅葉を期待して来園された皆様、申し訳ございません。 増築工事は、展示室などの床の部分へのコンクリート流し込みへと進んでいます。 一面に張られた鉄筋 床に埋め込む電源配線を巡らせる工事も並行して行います 奥では、現在の施設との接続工事も始まりました コンクリートを流し込み、水平に整え終わりました。 この面が新しい展示棟の床になります。 コンクリートの乾燥を待つ間、壁を構築する準備を行います。 建物の周囲に足場が組み上がります。 次第に建物の姿が見えてきました。 私たち学芸員は、これからできあがる展示室内の展示プランを作成しています。 様々な作品を魅力的に鑑賞していただける工夫をいろいろと考えています。

日本での鏡のはじまり

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古代鏡展示館は、工事のため休館しています。 令和3年の春まで実物の鏡はご覧いただけませんが、休館中も古代中国鏡や工事や開館にむけての情報を発信してまいります。 9月12日のブログ「秋風 起こり・・・」では、鏡に表された前漢時代の男女の物語でしたが、今回は同じ時代、鏡を通した中国と日本のお話です。 安定した内政を背景に積極的な対外政策を進める漢王朝。その勢いは東へも向かいます。 紀元前108年、衛氏朝鮮を倒し、 楽浪郡 (らくろうぐん)を設置しました。 楽浪郡の役所は、漢王朝の出張所として、朝鮮半島や当時の日本、倭国の窓口となります。 日本史の授業で習う「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国をなす。歳時を以て来たりて献見すと云う」は、前漢の史書である『漢書』地理志に記述されたこの時代の記録です。 紀元前1世紀、日本では弥生時代中期。倭国の中枢である北部九州の有力者は、献上品を手に定期的に楽浪郡の役所を訪れ、返礼として王朝から下賜された品の中に鏡がありました。 日本での中国鏡の歴史がここから始まります。 倭国の有力者が手にし、墳墓に副葬されたものと同種の鏡が千石コレクションにあります。 彩絵人物車馬鏡 (図録76 前漢)径23.1㎝ 三雲南小路遺跡(福岡県糸島市)出土鏡と同種 草葉紋鏡 (図録87 前漢)径21.8㎝ 須玖岡本遺跡D地点(福岡県春日市)出土鏡と同種 これらはいずれも径20㎝を超える大型鏡。中国では、王朝の高位にある人物が所有するものでした。辺境の地、倭国からの朝貢を漢王朝は手厚くもてなしていたことがわかります。

増築工事だより

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 10月を迎え、すっかり秋の装いになったフラワーセンター。日中は暑さを感じますが、秋の花を愛でる来園者も増えてきました。 古代鏡展示館の増築工事は、地階の壁の構築を行っています。 ミキサー車からポンプ車を経て、コンクリートが壁となる型枠内に流し込まれています。 コンクリートを送り込むパイプの先に作業員が集まっているのは、型枠の中にすき間ができないようコンクリートを流し込むため。パイプを適切な位置に操作する、コンクリートに振動を加えるなどの作業を人力で行います。慎重さとともに、コンクリートが固まるまでの限られた時間内に行う必要がある作業。 多くの分野で自動化が進む昨今ですが、ここでは職人技が発揮されて工事が進んでいます。