蹴鞠紋鏡②-2 鏡の中の「鞠」(2) 中国の鞠の表現(漢・唐)
暑い日が続きますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
8月も令和4年度夏季スポット展示『蹴鞠紋鏡 鏡の裏に“けまり”で遊ぶ』開催中です。
さて、前回の記事(蹴鞠紋鏡②-1)で確認した、蹴鞠紋鏡の「鞠」の表現について考えるために中国での鞠の表現について、文献や絵画資料などからみていきたいと思います。
◆古代中国の鞠はどのようなものだったのか。漢時代・唐時代の場合
●伝説の時代の帝王、黄帝が鞠をつくった!?
中国の蹴鞠に関する最も古い記述は、前漢時代に編まれた『史記』や『戦国策』に残されています。そこには、戦国時代(紀元前403~紀元前221年前)の斉の国の臨菑(りんし)という街(※現在の山東省)における民衆の娯楽の一つ「蹋鞠(とうきく)」として確認できます(註1)。
ただし、蹋鞠の具体的な内容はわかっておらず、使用した鞠についても不明です。
(註1)
司馬遷〈前漢〉編纂『史記』《蘇秦列伝》
臨菑甚富而実、其民無不吹竽鼓瑟、弾琴撃筑、闘鶏走狗、六博蹋鞠者。
劉向〈前漢〉編纂『戦国策』《斉策》〈蘇秦為趙合従説斉宣王〉
臨淄甚富而実,其民無不吹竽、鼓瑟、撃筑、弾琴、闘鶏、走犬、六博、蹹踘者
※「蹋」・「蹹」の字は「踏む」と同じ意味です。中国語の書面語(いわゆる書き言葉)では「蹴る」の意味もあります。
※漢文は『中國哲學書電子化計劃』のホームページ( http://ctext.org)を参考にして、可能な限り影印本等を確認し、繁体字・簡体字の漢字を日本語に修正のうえ掲載しました。以下註同じ。
しかしながら、それよりも古い伝説の時代の最初の帝王である黄帝(こうてい)(図1)が「鞠」をつくったという記述も実は残っています。
長沙馬王堆三号漢墓(前漢時代・紀元前2世紀)から出土した帛書(はくしょ/絹布に書かれた書)に記された「黄帝書(黄帝四経)」《十大經 正乱》には黄帝のエピソードに関する記述があります。
そこでは、黄帝と蚩尤(しゆう)(図2)との戦争において、黄帝が自ら蚩尤と遇って生け捕りにし、その胃を充たして鞠を作り、人がそれを使用したと記されています(註2)。
(註2)
『長沙馬王堆三号漢墓出土的帛書』(前漢時代・紀元前2世紀)
「黄帝書(黄帝四経)」《十大経 正乱》
戦盈哉,太山之稽曰:可矣。於是出其鏘鉞,奮其戎兵。黄帝身遇蚩尤,因而擒之。剝其皮革以為干侯,使人射之,多中者賞。其発而建之天,名約蚩尤之旌。充其胃以為鞠,使人執之,多中者賞。腐其骨肉,投之若醢,使天下□之。
この時の鞠がどのように使用されたのかは詳しくはわかりませんが、蚩尤の胃から鞠が作られたことがわかります。
少なくとも後漢の時代には、胃などの丸い形の臓器を利用し、その中に何かを詰めて球形に作られたものが、鞠として認識されていたと考えられます。
同じく後漢時代の劉向の『別録』では、「蹴鞠は黄帝の造る所」(註3)との記載もあります。
(註3)
『御定康熙字典』巻十五の「毬」の項目
註劉向別録曰「蹴鞠、黄帝所造、本兵勢也、或云起於戦国。・・・・・・」
〈『四庫全書本』(経部/小学類/字書之属/御定康熙字典/卷十五) 所収〉
※句読点、カギ括弧等加筆。
伝説では、黄帝は衣服や弓矢などの生活用具、文字や暦などの制定、また薬草を用いた医術など、人に文化的な生活を与えた最初の帝王とされます。
少なくとも、漢時代の「鞠」の起源についても同様の伝説が残されていたといえそうです。
なお、漢時代の画像石には鞠を蹴る表現が多数みえますが、鞠は概ね円形の図像で表現され、表面には模様などが表されないため、どのようなものだったのかよくわかりません。
●鞠の中に何がつめられたのか?
また、同じく後漢の時代に作成された歴史書の『漢書』《衞青霍去病伝》の鞠の記述に対して、唐時代初頭に顔師古によって校注が付されています。
その校注には、「鞠、皮を以て之を為し、毛を以て実(みた)し、蹴躢(しゅうとう)して戯る也。」(註4)とあります。
(註4)
班固〈後漢〉編纂 『漢書』《卷五十五 衞青霍去病傳 第二十五》
而去病尚穿域躢鞠也。服虔曰「穿地作鞠室也。」、師古曰「鞠、以皮為之、実以毛、蹴躢而戯也。躢音徒臘反。鞠音鉅六反。」
※句読点、カギ括弧等加筆。
この記述からは、鞠は皮革で形を作り、その中に毛を詰めて作られたことがわかります。
唐時代初頭の校注ですが、少なくともこの頃よりも古い時代の鞠は、皮革の中に毛の詰め物をして作られていたことがいえ、明確ではありませんが、漢時代の鞠の中にも毛が詰められたものと思われます。
●鞠の中身が空気になる。
唐時代の詩人、帰氏子が詠んだ「答日休皮字詩」があります。
この詩は、同じく唐時代の詩人である皮日休に対し、名前にある「皮」の文字に関連して題されたものとされます。
詩のなかには、「八片尖裁浪作毬」や「一包閑氣如長在」というフレーズがあり(註5)、球の具体的な構造について触れられています。
(註5)
帰氏子(帰日安)〈唐〉「答日休皮字詩」
八片尖裁浪作毬、火中燖了水中揉。一包閑氣如長在、惹踢招拳卒未休。
〈『欽定四庫全書』(集部八/總集類) 『御定全唐詩』卷八百七十一 所収〉
このフレーズからは、皮(革)を8片に尖った形に裁断して毬(球と同義)を作り、その中に空気を入れる、というような球の構造が解釈ができると思います。
とすれば、その皮革パネルは8枚接ぎ(はぎ)の舟形多円錐であったと推測されます。(図3)
球に空気が入っていることについては、唐時代の仲無頗が記した「氣球賦」にもうかがえるほかに、『御定康熙字典』が「毬」の字を解説する際に引用している、唐時代の類書(百科事典)である『初学記』に次のような記載を見ることができます。
「・・・・・・、古用毛糾結為之,今用皮以胞為裏嘘氣閉,而蹴之,・・・・・・」(註6)
この記載からは、古くは毛を集め合わせて毬を作り、今は皮を用いて中に空気(呼気)を閉じ込めて袋状にし、これを蹴る、という解釈ができます。
『初学記』は、唐の玄宗の勅命を受けて徐堅らが編纂した類書で、727(開元 15 )年に成立しました。とすれば、ここに記された「今」というのは、8世紀第1四半期頃の唐時代(盛唐期)の状況を指していると考えられます。
(註6)
「御定康熙字典」卷十五 「毬」の字の解説より一部抜粋
初学記「鞠即毬字,今蹴鞠曰戲毬,古用毛糾結為之,今用皮以胞為裏嘘氣閉,而蹴之,・・・」
〈『欽定四庫全書』経部 小学類 字書之属 所収) 〉
これらをあわせると、少なくとも唐時代の鞠は皮革を用いて球形にし、中を空気で充たしたものであり、また8枚の舟形多円錐の皮革パネルを素材として構成された鞠もあったといえます。
●まとめ
漢時代・唐時代の中国の鞠について上記をまとめると、
《漢時代》:
鞠は黄帝が作ったという伝説があった。
胃などの臓器を利用して中に毛を詰めて鞠が製作された。皮革を利用したものもあった。
《唐時代》:
皮革を利用し、中を空気で充たして鞠が製作された。鞠は8枚接ぎの舟形円錐形の皮革のパネルを組み合わせて構成されるものもあった。
このように見ると、蹴鞠紋鏡に表された鞠(図4)は、唐時代の8枚接ぎの皮革で構成された球に近いかもしれません。
次回の更新では、宋時代以降の絵画資料に見える鞠の表現についてみていきたいと思います。
スポット展示「蹴鞠紋鏡」の展示期間は、令和4年7月21日(木)~9月11日(日)(水曜日休館)です。
是非、この機会にご覧下さい。(K)