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中国鏡の中の人面鳥① 「玄女(げんにょ)」

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様々なドラマを生んだピョンチャンオリンピックも、閉会式を迎えました。 開会式では四神が登場し、このブログでも紹介いたしましたが、閉会式ではその姿はなく、再び人面鳥が現れました。 強烈な印象を与えたこの鳥(?)ですが、こうした人面をもつ鳥は中国鏡の紋様の中にも存在します。 「玄女(げんにょ)」「迦陵頻伽(かりょうびんが)」と呼ばれているものがそうです。 「玄女」は、後漢代の神獣鏡の中に、中国を最初に統一した伝説の帝王「黄帝(こうてい)」と共に登場します。 その姿は、首を持ち上げて胸を反らし、羽を後方へ広げた姿で、空から舞い降りたばかりのように見えます。 左:玄女、右:黄帝 ① 重列式神獣鏡(千石コレクション142、「建安元年」(196年)) 左:黄帝、右:玄女 ② 鍍金対置式神獣鏡(千石コレクション155、後漢) 「玄女」と「黄帝」の説話について、唐の杜光庭の『墉城集仙錄』(『太平廣記』に引く)によると以下のような内容が記されています。 黄帝が西王母からさずかった必勝の符(おふだ)を身につけると、人首鳥身の婦人がやってきて戦いに勝つことができた。婦人は「我は九天玄女なり」と名乗った。 ②の写真を見ると、黄帝(左側)が左手に弓状の符を持ち、玄女(右側)を呼び出した様子を表しているのがわかります。 鏡背面の紋様として黄帝を表すことで、戦いなどの凶を取り除くことが期待されました(鏡の銘文「黄帝除凶」)。その時に力添えするのが人首鳥身の婦人「玄女」です。 ピョンチャンオリンピックで登場した人面鳥は平和の象徴とされています。 人はいつの時代も非現実的なものに平和の実現を期待するようです。 <参考文献> ・森下章司 2016年『五斗米道の成立・展開・信仰内容の考古学的研究』平成24~27年度科学研究費助成事業 基盤研究(B)研究成果報告書 ・兵庫県立考古博物館 2017年『千石コレクション ー鏡鑑編ー』

四神シリーズ③ 玄武岩と四神

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皆さんは「玄武岩」という岩石名をご存じでしょうか? ごく一般的な岩石で、理科の教科書でも登場するメジャーな岩石です。 さて、この岩石名には、なぜ四神の「玄武」という名が付いているのでしょう? その謎を解く鍵は、兵庫県北部、豊岡市にある国天然記念物「玄武洞」にあります。 玄武洞とは、玄武岩を採掘してできた人工の洞穴ですが、その岩石は柱状に規則正しく割れており(柱状節理)、柱の断面形は5~6角形のものが多くなっています。 明治17(1884)年、東京帝国大学の小藤文次郎博士が、岩石に名前を付けるにあたり、「玄武洞」の名前にちなんで、「玄武岩」と名付けました。 つまり、「玄武岩」が採掘できるから「玄武洞」になったのではなく、「玄武洞」にある岩石に「玄武岩」という名前を付けたのです。 なんと、「玄武洞」の名前の方が先だったのです。 では、そもそも「玄武洞」という名前はどこからきたのでしょう? それは、江戸時代後期の儒者、柴野栗山(しばのりつざん)が文化4(1807)年に命名したことに因ります。栗山は、「玄武洞」の特徴である5~6角形の紋様が亀の甲羅にある亀甲紋(きっこうもん)を思わせ、柱状節理(柱状の割れ)が大きく曲がりくねる様子が蛇のようなので、亀と蛇が絡まり合う「玄武」を連想して名付けた、と言われています。 ちなみに、この玄武洞一帯には、玄武洞以外に、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞があり、四神の名前がそろっています(朱雀は南北2つあります)。しかし、それぞれの位置関係は四神の東西南北の配置とは異なり、バラバラです。 これら玄武洞以外の洞名は、大正時代以降、「玄武洞」の名前に合わせて観光用に命名されたものです。 その後も「玄武洞」は、 ・大正15(1926)年、地磁気の方向が今と反対の南を向くことの発見につながる。 ・昭和6(1931)年、国の天然記念物に指定される。 ・昭和30(1955)年、山陰海岸国定公園に指定される。 ・平成20(2008)年、日本ジオパークに認定される。 ・平成22(2010)年、世界ジオパークネットワーク加盟に認定される。 と、次々に価値が認められていきました。 玄武洞の近くには、城崎温泉、コウノトリの郷公園、出石そば、などなど、楽しいものがいっぱいあります。 一度、

四神シリーズ② ピョンチャンオリンピックに四神が現る!

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昨日、ピョンチャンオリンピックの開会式が行われました。 テレビでその様子を見ていますと、そこに登場したのは、古代中国鏡でおなじみの四神。 韓国の歴史と文化を紹介するシーンで、高句麗の古墳に壁画として描かれていたことから採用されたそうです。 当館オリジナルの、四神をデザインした缶バッジをつくっていただいた皆さん。 県立フラワーセンターのサマーイルミネーションで、闇夜に浮かぶ四神をご覧いただいた皆さん。 当館で、四神が表された鏡(方格規矩四神鏡、重列式神獣鏡、四神十二支紋鏡など)をご覧になった皆さん。 テレビに映し出された躍動する四神を通して、東アジアに共通する文化を感じていただけましたでしょうか? オリジナル缶バッジ(白虎:方格規矩四神鏡モデル) サマーイルミネーションの四神(方格規矩四神鏡モデル) 四神十二支紋鏡(隋~唐:当館蔵)

四神シリーズ① 落語の中の四神

主に前漢代から隋唐時代の鏡に表された四神(しじん。ししん)。 日本でも高松塚古墳やキトラ古墳の壁画に描かれていたこともあって、古代史好きの方ならご存じの方も多いはず。 今では、ゲームのキャラクターにもなっているそうです。 何か、身近に四神を感じられるものがあれば、と思っていますと、またまた落語の中に登場していました。 『百川』という古典落語で、なまりの強い登場人物が「主人家の抱え人」と話したところ、「四神剣(しじんけん)の掛け合い人」と聞き違えられ、騒ぎになっていく、という内容です。 「四神剣」が祭りで使われる道具であることを知らないと、この聞き違いの意味がわかりません。『百川』は江戸時代終わりごろに実在した料亭がモデルといわれているので、この頃の人々には「四神剣」は身近な存在だったのでしょう。 現代でも、「四神剣」を使う祭りがあるそうで、神具の販売店で売られているようです。 「四神剣」は「四神旗(しじんき)」ともいわれ、四神の絵が描かれた4本の旗のことです。 古くは、大宝元年(701)の春正月乙亥の日に、文武天皇によって行われた年始の儀式において、同じようなものが使われました。 大極殿正面の正門(南側)には、烏形の幡(大きな旗)、 左側(東側)には、日像・青龍・朱雀の幡、 右側(西側)には、月像・玄武・白虎の幡、 がそれぞれ立てられました(『続日本紀』)。 なお、この時に四神旗を立てた跡が藤原宮跡(奈良県橿原市)で発掘調査により見つかっています。(奈良文化財研究所 平成28年度調査。 詳細はこちら )。 今後も、現代にひっそりと隠れている四神の姿を探し出し、紹介していきますので、お楽しみに。