【方格規矩鏡の図像(その1)】ライオンとトラ


2023年の終わりに近づいてきていますが、みなさまお元気でお過ごしでしょうか?

古代鏡展示館では令和5年度秋季企画展『方格規矩鏡 ―鏡に広がる天円地方の宇宙―』を開催中です。(令和6年3月10日まで)
(※2023年12月20日~2024年1月2日まで休館していますので来館年末年始ご来館の際はご注意ください。)

1.気になる方格規矩鏡の図像表現

今回テーマとする図像

さて、今回企画展に関連してブログで取り上げるのは、次の方格規矩鏡に表された動物の図像についてです。

■写真1-1:鍍金方格規矩獣紋鏡(図録119)〈当館蔵〉
前漢/紀元前1世紀、直径10.9 cm ・重さ243g


現在展示中の鍍金方格規矩獣紋鏡(図録119)は、外区には紋様がなく、内区の方格規矩紋部分を除く主紋様部分に鍍金(ときん=金めっき)が施されています。

その中で気になる図像は次の部分の動物の図像表現です。
■写真1-2:図録119に表された気になる動物図像

図像はすべて細い線で施され、右側の四足の動物が、左側で左前足を挙げる四足の動物の方向を振り返っている様子が表されています。

右側の動物は、頭部は丸く、眼は切れ長、口元をやや「へ」の字状に結び、丸まった背中と首には2本1セットの筋で表した縞模様があり、尻尾は先端が細くなっています。

一方、左側の動物は、頭と首が反るように立ち上がり、前に少し突き出た顔には逆C字形の丸い眼と、「へ」の字状に結んだ口元、その後には首と顔の境界となる2本の皺があります。また顔より上の頭頂部はやや膨らみ、そこから首筋にかけて縞模様状の表現が施されています。体部には4つの珠点があり、腹部には皺または縞状の表現、内側に反った背中は立ち上がった首と相まって背丈が高く見えるようになっています。また、足先は3本の尖った爪または指になっており、左前足を持ち上げています。そして尻尾の先端は毛が広がるように3本の細い線が端に向かって開いていくように表現されてます。

当初この図像は、2頭のトラが顔を向かい合わせている表現だと思っていましたが、どうやら違うようです。

2.図像表現を読み解くヒント1


それに気づくヒントとなったのは、岡村秀典さんの鏡の研究による指摘です。
まず研究で示された鏡の図とその解説した文章を引用します。

■図1:ライオンをあらわした前1世紀末の鏡(岡村2017より引用)

ライオンの表現について、
前1世紀後半の鏡(京都大学総合博物館蔵)で、中国でもっとも古いライオンの画像がある。拓本の拡大図をみると、それは大きなたてがみ、丸い耳、ふさふさとした尻尾をもち、雄ライオンの特徴を的確にとらえている。鏡の制作者がライオンを実際にみたのか、つまりライオンがシルクロードをへて連れてこられたのか、それとも絵の粉本がもたらされたのか、よくわからないが、ライオンについての情報が、すでに中国ではかなり知れ渡っていたことがうかがえる。」(岡村2017)

配置については、
「文様帯があり、四葉文の乳(文様中の突起)で4区画に分けている。動物はいずれも頭を右に向け、反時計回りに歩んでおり、各区画の先頭(向かって右側)には青龍・白虎・朱雀・玄武の四神が配され、それぞれ東・西・南・北をあらわしている。」
「これは儒教の五行思想にもとづく宇宙観でありライオンが西を象徴する白虎の後ろにしたがっている」(岡村2017)としています。

※図・文引用:岡村秀典2017「鏡にあらわされたシルクロードの奇獣」『科学』第87巻10号 岩波書店

以上の記述からヒントとして注目するのは、次の4つです
①図像からライオンと分かる特徴が示されていること。
②前漢時代末の獣帯鏡に中国最古の「ライオン」の図像が表されていること。
③しかも、ライオンが白虎の後ろに描かれるという、ライオンとトラの組合わせとその配置関係に何らかの意味があるということ。
④ライオンの情報が中国でかなり知れ渡っていた可能性があること。


3.図像表現を読み解くヒント2


以上の視点を持ちつつ、もう一つの鏡の図像表現をみていきます。

取り上げるのは、同じく展示中の方格規矩四神鏡(図録129)です。

■写真2-1:方格規矩四神鏡(図録129)〈当館蔵〉
(前漢/1世紀、直径25.7 cm・重さ1317g)

この方格規矩四神鏡(図録129)は、当館が所蔵する方格規矩鏡のなかでも最大の鏡です。
外区には雲気紋が入った凹帯がめぐり、内区の主紋様にはさまざまな瑞獣や仙人達のたくさんの図像で賑わっています。

主紋は一重の円圏で内側と外側に区分されており、方格規矩紋の方格部とT字形部分は円圏の内側に、規矩紋のL字形とV字形部分は円圏の外側になっています。

注目したいのは、円圏の内側に表された瑞獣達の図像で、四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)やそれに関連するとみられるその他の動物の表現がみえます。四神は、写真の上部から時計回りに玄武(上)→白虎(右)→朱雀(下)→青龍(左)が配置されています(※)。この鏡では、まだ四神の方位が定まっていないため、西側を守護する白虎は写真の左側ではなく、写真の右側、方位でいうと東側に描かれています。

※四神と方格部の四辺に立ち上がったT字形部分との位置関係をみると、上辺では、T字形の上方に玄武、右辺・下辺・左辺ではT字形の背後にそれぞれ白虎、朱雀、青龍が表されています。

この鏡でさらに注目したいのが、(玄武を上にしたときの)右辺の白虎部分です。

次にその部分の写真とX線画像を白黒反転画像、ややラフですが両者を見比べつつ描き起こした模式図を載せます。

■写真2-2:図録129の白虎部分拡大


■図2:図録129の白虎部分(写真2-2部分)のX線写真白黒反転画像


■図3:図録129の白虎部分の模式図
※写真2-2・図2をもとに描きおこし
※雲気紋等は煩雑になるため省略しています

※ちなみ主紋様の全体の描き起こしを今回の企画展の講演会の為に作成しました。本企画展の講演会で配布しておりますので、必要な方は是非講演会にご参加ください。

白虎部分の図像表現をみていくと、上に1体、下に2体の計3体の動物が描かれています。

上の1体が白虎で、横長の眼を持つ顔は正面をこちらにむけ、体部は規矩紋のT字形の背後に隠れていますが、背中と首近くに2本1セットの縞模様が入っています。肩部分には毛羽状の線と体の外側に突き出て巻き上がった羽根状の線が表され、瑞獣に特徴的な翼状の表現になっています。また長い尻尾の先端は巻き込んでいますが、やや尖り気味です。

下の左右2体の動物は向かい合っています。

右側の4足立ちの動物は、切れ長の眼を持つ頭部、首筋から体部の背中、後ろ足の大腿部にかけて2本1セットの縞模様が入っています。左足の肩口には、毛羽状の線があります。尻尾は、後ろ足の間に垂れ下がって、先端は見えません。上の白虎とは少し表現が違いますが、体部の縞模様が同じであることからトラを表しているといえます。トラの肩口に白虎に見られた翼状の表現がない点を重視すると、実在のトラのイメージに近い図像として白虎と区別している可能性も考えられます。
このトラは左前足をその肩口まで挙げ、頭を低く下げて丸く立ち上がった背中は、ネコ科動物が威嚇するかのような体勢をとっています。

左側の4足立ちの動物は、頭と首が反るように立ち上がり、前に少し突き出た顔の口元は少し笑みを浮かべてるようにもみえます。顔と首の付け根部分には、少し尖った耳と頬髭のような毛羽が見えます。また、顔より上の頭頂部はやや膨らんで、そこから首筋にかけて縞模様状の線が施されています。首筋に一つの珠点、体部に3つの珠点が入り、腹部には皺または縞状の表現があり、内側に反った背中は立ち上がった首と相まって背丈が高く見えるようになっています。右側肩口には、毛羽状の線があります。そして足先は3本の尖った爪または指になっており、左前足を持ち上げています。尻尾の先端は毛が広がるように4本の細い線が端に向かって開きながら、豊かな毛がたなびくように表現され、上方外側の一本は先端が上方向に巻いています。

問題は、左側の動物が何を表しているのか、です。

先に答えを示すと、左側の動物は「ライオン」を表現していると考えられます。

頭頂部から首もとにかけての縞模様は「たてがみ」を表しているとみられ、ヒント1(図1)は形として首は短くなっていますが、たてがみが頭頂部で盛り上がって首筋に連続するところは共通しています(※)。
また、尻尾の先端については、ヒント1(図1)とは形状は異なりますが、尻尾の先端がたなびくように豊かな豊かに広がった「ふさふさ」の毛の表現の特徴は一致していると見て良いと思います。
そして、これら姿形の表現は、右側のトラとも異なっています。

※同様の姿形と体勢をした「ライオン」の表現は、後漢時代の画像石にもしばしばみることができます。画像石のライオンのたてがみは首筋から頭頂部にかけて複数の線刻で表現され、頭頂部は鶏冠のように特徴的に盛り上がっているものが多く見られます。

ここで、この左側のライオンと今回「気になる図像」として取り上げている図録119の方格規矩獣紋鏡の左側の動物(写真1-2)を比較すると、その姿形や体勢の特徴は類似しており、こちらの動物も「ライオン」を描いていると考えられます。そして、右側の縞模様を動物についても白虎とは異なるトラが描かれているといえます。

つまり、図録119の写真1-2と図録129の写真2-2、図2・3は、
左側にライオン、右側にトラがいて、顔が向き合ったかたちで配置されていることが分かります(写真2-3)。

写真2-3:図録119(上)と図録129(下)の
左側のライオンと右側のトラの顔が向き合う組合わせ

そして、当館所蔵の図録119・129の方格規矩鏡は、前漢末(紀元前1世紀末)の鏡であり、時期的にもヒント1(図1)の獣帯鏡と時期的にも同じ頃のもの(※)であることから、そこに表されたライオンも同じくらい中国で最も古いライオンの図像のひとつになるといえそうです。

※岡村秀典さんの漢鏡編年(岡村秀典1984「前漢鏡の様式と編年」)でみると、ヒント1(図1)は漢鏡4期獣帯鏡Ⅰ式(図1の鏡は岡村1984での標式鏡)で、図録119は漢鏡4期の方格規矩四神鏡Ⅰ式、図録129は漢鏡4期の方格規矩四神鏡Ⅱ式にあたり、ほぼ同時期の鏡と考えられます。また、鏡の文様要素から、外区の無文の図録119が凹帯文の図録129よりも古い様相を見せるため、図録119のライオンの表現の方が古く、図録129の方が新しいということになりそうです。しかし、図録119のライオンの方が、図録129に比べてややデフォルメ化しています。姿形や体勢といった特徴が共通しているため、各鏡の制作者が参考にしたライオン図像の情報が類似していたといえます。ですが、その情報に細かな差異があった可能性や、図録129は鏡自体が大きく、文様も賑やかでその他の瑞獣の表現も多様であるため、そういった細かな部分の表現の違いも多少あるかもしれません。

ちなみにヒント1(図1)では、図の左側の白虎の背後にライオンが描かれ、ライオンとトラの組合わせになっていますが、顔は向き合っていません。この位置関係についても次の問題を見ていくなかでその意味が少しみえてくるかもしれません。

それでは、この顔が向き合うライオンとトラの組合わせは何を表しているのでしょうか?

4.向き合うライオンとトラの表現は何を表しているのか?


そもそもライオンは、中国では原産せず、インド・西アジアからアフリカに生息しています。

文献をみると、古代中国にはライオンは西域から伝わり、「獅子」として認識されてることとがわかります。

「獅子」の語は『漢書』西域伝上に「師子」として初出し、前漢時代の中国では、西の「烏弋山離国(うよくさんりこく)」(=アフガニスタン西部のアレクサンドリアか)に生息することが知られていました(※)。
※『漢書』西域伝上
「烏弋地暑熱莽平、其草木、畜產、五穀、果菜、食飲、宮室、市列、錢貨、兵器、金珠之屬皆與罽賓同、而有桃拔、師子、犀牛。俗重妄殺。其錢獨文為人頭。幕為騎馬。以金銀飾杖。絕遠、漢使希至。自玉門、陽關出南道、歷鄯善而南行、至烏弋山離、南道極矣。」

『四部叢刊』に所収された宋代の『太平御覧』獣部の「師子」の項目をみると、現代では失われてしまった後漢時代の歴史書とされる『東観漢記』を引いて、獅子は虎に似て黄色く、「髯耏(ぜんじ=ほおひげ)」があり、尾の端は「茸毛(じょうもう=細くて柔らかい毛)」で「斗(約2Lの升)」のように大きい、と説明されています(※)。

※『太平御覧』獣部 師子
「東観漢記曰、陽嘉中、疎勒国献獅子、封牛。獅子形似虎、正黄、有髯耏、音而。尾端茸毛大如斗。

ライオンの場合、頭頂部から首や顔の周りに生えている毛は一般的に「たてがみ」と読んでいます。表記漢字の「髯」と「耏」はいずれも「ほおひげ」の意味です。フリー百科事典ウィキペディアのライオンの特徴の記述を参考にすると、実際のライオンのたてがみも様々な生え方があるようなので、たてがみの表現の一つとして理解して良いと思います。また、尾の先に房状の毛が生えるネコ科はライオンが唯一ともされています。

そして、『漢書』西域伝下には武帝の頃(BCE141〜BCE87)に「外囿(がいゆう)」=動物を放し飼いに出来る庭で「師子(=獅子)」を飼育したとの記述があります(※)。
※『漢書』西域伝下
「鉅象、師子、猛犬、大雀之群食於外囿。」

また、後漢時代には、月氏国(バクトリア)や安息国(パルティア)の使者が後漢の皇帝に「師子(=獅子)」を献上したという記録もあります(※)。
※『後漢書』肅宗孝章帝紀の章和元年(CE87)条
是歳,西域長史班超撃莎車,大破之。月氏国遣使献扶抜、師子
『後漢書』肅宗孝章帝紀の章和二年(CE88)条
冬十月乙亥、以侍中竇憲為車騎将軍、伐北匈奴。安息国遣使献師子、扶抜。

少なくとも、前漢時代より実物の「獅子」の姿形をより具体的にイメージできる機会があったことがわかります。

ただし、今回取り上げた鏡に表されているライオン像は、両者とも類似した姿形をしていることからすると、実物を観察して描いたというよりも、手本となるようなライオンの図像のイメージ情報をもとにして表現されていると思われます。

いずれにせよ、以上を勘案すると、漢代に西域から伝わった「獅子」の特徴の説明からもライオンの特徴にあてはまるといえ、「獅子」はライオンのことを指しているといえます。

そして、再び『太平御覧』獣部の「獅子」の項目を見ると、「獅子」は「狻猊(さんげい)」という別名があったことが分かります。

そこには、戦国~秦漢にかけて成立したとされる中国最古の辞典、『爾雅』釈獣の説明と晋の郭璞(かくはく)(CE276~324)の注釈を引いて、次のように狻猊は「獅子」であると記しています。

「爾雅曰、狻猊、如虦猫、食虎豹。郭璞注曰、即師子也。狻音酸、猊音倪。虦、音奸、文浅毛也。」(『太平御覧』獣部 師子)(※)
※『武英殿十三經注疏』所収の『爾雅注疏 』・『爾雅』釋獣でも同内容および注釈を確認できます。

つまり、ライオン=獅子(師子)=狻猊、という構図が判明します。

さらに、興味深いのは『爾雅』の狻猊の解説では、狻猊は「食虎豹(虎豹を食べる)」という点です。

ライオンがトラを捕食するということは、本来の生態ではないですが、当時はそのような存在として考えられていたことがわかります。

ここで改めて、鏡にあらわされたライオンとトラが向き合う構図(写真2-3)をみると、捕食者のライオンと被捕食者のトラが対峙していることになります。

そうすると、図録119は、左側のライオンに対して右側のトラが後ろを振り返って警戒しているようにみえます。

そして、図録129は、左側のトラが右側のライオンに対して、姿勢を低く構えて威嚇しているようにみえます。

ちなみにヒント1(図1)を見ると、白虎の後ろでライオンがトラを狙っている様子にもみえます。

こういった捕食者と被捕食者の組合わせとなった構図は、次の獣帯鏡などに見える草食動物のヤギに似た獣の後方に肉食動物のトラが組み合って配置される構図にも当てはまるかもしれません(※)。
※瑞獣たちが対になっている構図には、捕食者・被捕食者の他にもさまざまな構図があります。

■写真3:獣帯鏡(図録116)のトラとヤギに似た獣の組合わせ
獣帯鏡(図録116)〈当館蔵〉
(前漢/紀元前1世紀、直径15.3 cm・重さ520g)

再びライオンとトラが対峙する構図について考えてみます。

古代中国では、トラは、「白虎」という表象があるように、西を守護する四神であり、方格規矩四神鏡の銘文のとおり辟邪の役割が信じられていました。

また、「虎」についても、天帝の宮殿にある九重の天門にいて下界から来た人に啄害(たくがい=噛みついて傷つける)する(※1)という門番の役割や、「悪害の鬼」を喰らう存在であり、虎の絵を「凶魅(きょうみ)」を防ぐために門に描くといった話(※2)もあり、辟邪や守護の役割が戦国時代より信じられており、「百獣の長」(※3)とも称されています(土居淑子1988)

※1:『楚辞』招魂
「魂兮帰来、君無上天些。虎豹九関、啄害下人些。
※2:『論衡』「訂鬼編」に引用する『山海経』「海外経」
「山海経又曰、滄海之中、有度朔之山、上有大桃木、其屈蟠三千里、其枝間東北曰鬼門、万鬼所出入也。上有二神人、一曰神荼、一曰鬱塁、主閲領万鬼。悪害之鬼、執以葦索、而以食虎。於是黄帝乃作礼以時駆之、立大桃人、門戸画神荼、鬱塁与虎、懸葦索、以禦凶魅。
 漢の応昭の『風俗通義』「桃梗、葦茭、画虎」にも同様の話あり。
※3:『風俗通義』「桃梗、葦茭、画虎」
「謹按黄帝書、上古之時、有荼与鬱塁昆弟二人、性能執鬼。度朔山上章桃樹、下簡閲百鬼、無道理、妄為人禍害、荼与鬱塁縳以葦索、執以食虎。」於是県官常以臘除夕飾桃人、垂葦茭、画虎於門、皆追効於前事、冀以衛凶也。」
「虎者陽物、百獣之長也、能執搏挫鋭、噬食鬼魅。今人卒得悪遇、焼悟虎皮飲之、撃其爪、亦能辟悪、此其験也。」

一方で、実在の動物としてのトラは、ヒトに対して危害を加える獰猛な動物という側面もあります(※)。
※『礼記』壇弓下
「孔子過泰山側、有婦人哭於墓者而哀、夫子式而聴之。使子貢問之曰、子之哭也、壱似重有憂者。而曰、然、昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何為不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之,苛政猛於虎也。

そのような獰猛なトラ=虎を捕食するライオン=獅子(師子)=狻猊は、どのような存在として映るでしょうか。

ライオンは、「百獣の王」としてよく知られています。
古代エジプトや古代ペルシアにおいて王権や権威・力のシンボルであり、またインドでは仏法の守護獣として重視されてきました。

古代中国では、害をなす虎=トラを捕食する獅子=ライオンは、害を食べることで良くないことを却け、守る、辟邪や守護の役割が期待されたといえるのではないでしょうか。ちなみに、獅子が虎を食べるということから、獅子は「虎に勝る獣という認識が形成され」、「異界の入り口における古来の守護獣だった虎にとって替わった」といった評価もされています(土居1988)(※)。

※後の時代には、門や入り口を守護する獅子の石像なども作られています。
その中でも南朝梁の陵墓を守る石造獣は、獅子の姿形をして「辟邪」と呼ばれています。

そうすると、鏡の中でライオンとトラが顔を向き合わせた図像表現は、獅子と虎の対峙を隠喩として、辟邪と守護という鏡の効能を示していると考えられます。

5.まとめ

以上、これまでに考えてきた方格規矩獣紋鏡(図録119)〈写真1-1・2〉の気になる動物の図像についてまとめてみます。
  • 図像は、左側にライオン=獅子と右側にトラ=虎が表され、顔を向き合わせてた表現になっており、捕食者の獅子と被捕食者の虎の関係を表している。
  • 当館所蔵の鏡(図録119と129)は中国のライオン=獅子の図像でも最古の部類に入る。
  • 鏡の中でライオン=獅子とトラ=虎が顔を向き合わせた図像表現は、獅子と虎の対峙を隠喩として、辟邪と守護という鏡の効能を示している。
先述のとおり守護・辟邪の役割は白虎やトラの一側面と共通するところです。
しかし、西域からもたらされた「百獣の王」であるライオン=獅子との組合わせになったとき、その役割は交代し、「百獣の長」のトラ=虎は害をもたらすヒール=悪役に転向せざるを得なくなったのかもしれません。


【凡例】
 記載する図録番号は、『千石コレクション ―鏡鑑編―』(兵庫県立考古博物館2017発行)に掲載する鏡の番号を表します。
 漢文は「中國哲學書電子化計劃」https://ctext.org/zhのテキストと底本の影印を確認のうえ参考にし、日本漢字に置き換えて表記しています。

【引用・参考文献】
岡村秀典1984「前漢鏡の様式と編年」『史林』67-5
岡村秀典2017「鏡にあらわされたシルクロードの奇獣」『科学』第87巻10号
土居淑子1988「獅子は西から」『夢万年―聖獣伝説』
潘 攀2019『漢代神獣図像研究』

【参考HP】
「中國哲學書電子化計劃」(https://ctext.org/zh)〈2023年12月16日確認〉
「ライオン」『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3#cite_note-narushima-7)〈2023年12月16日確認〉

2023年12月23日公開
(K)

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