セミがとまる鏡

最近、セミが鳴き始めました。
まだまだへたくそですが、夏休みが始まるまでには、やかましくなることでしょう。

松尾芭蕉の『おくの細道』には「閑(しずか)さや 岩にしみ入(い)る 蝉(せみ)の声」という俳句が詠まれています。芭蕉が山形県の立石寺(りっしゃくじ)で詠んだこの句の「閑かさ」とは、現実の世界とは別次元の心の閑けさ、宇宙の閑かさ、なのだそうです(NHKテキスト)。

やかましいセミに向かって大声で怒鳴りたくなる私にも、そんな心のゆとりがほしいものです(心の現実逃避はよくします)。

セミの発声練習を聞きながら鏡を見ていますと、いましたいました。セミが。

海獣葡萄鏡という唐代の鏡で、チョウ、ハチ、ガ、トンボなどの昆虫が表されることが多いのですが、セミがいるのは珍しいです。

昆虫は、毛虫・芋虫-さなぎ-成虫へと変化していくので、唐代の中国人にとっては再生、不死の象徴だったようです。
特に空を飛ぶ昆虫は天にも通じるものと考えられていました。
セミも、毎年地中から湧き出すようにして現れ、幼虫が羽化、成虫へと変化し、空へ飛んでいくので、他の昆虫と同じように再生、不死、そして天に通じるものと考えたのでしょう。

これから暑い夏を迎えますが、現代のセミの声を聞きながら、約1,300年前のセミをご覧になるのも一興ではないでしょうか。

きっとそこには「心の閑かさ」が訪れることでしょう。

 
海獣葡萄鏡のセミ(図録226)