蹴鞠紋鏡②-3 鏡の中の「鞠」(3)中国の鞠の表現 (宋・元・明・清)と鞠の変遷

皆様お元気でお過ごしでしょうか?

サッカーの世界大会(W杯)が始まりましたね。
ここでは、サッカーと同じくボールを蹴る球技「蹴鞠」に関連する「蹴鞠紋鏡」について引き続き見ていきたいと思います。

令和4年度夏季スポット展示『蹴鞠紋鏡 鏡の裏に“けまり”で遊ぶ』は終了いたしましたが、もう少し蹴鞠紋鏡に関連する記事にお付き合いください。


さて、前々回の記事(蹴鞠紋鏡②-1)で確認した、蹴鞠紋鏡の「鞠」の表現について考えるために中国での鞠の表現について、文献や絵画資料などからみていきたいと思います。

前回の記事(蹴鞠紋鏡②-2)では、漢時代・唐時代の中国の鞠について見てきました。

今回は、宋・元・明・清時代の絵画資料に描かれた鞠について見ていきたいと思います。
また、中国の漢・唐時代も含めた鞠の変遷と蹴鞠紋鏡の鞠の表現の位置づけについて検討してみます。

図1 汪雲程「蹴鞠図譜」(明時代)に描かれた蹴鞠の様子
(『説郛』第101巻下所収/国立公文書館所蔵/二次利用可能画像使用)
※周囲トリミング

《注意:記事を読む前にご一読いただき、次のことをご了承ください。》
※本来であれば絵画資料等の検討を行いつつ厳密に話をすすめていく必要がありますが、ここでは流れを把握するために大まかに事例を取り上げて、話を進めていきたいと思います。
※また、掲載する鞠の画像については多くが模式図になっています。絵画資料のご確認は、所蔵先のデジタルアーカイブ等のHPのURLも掲載しておきますので適宜ご参照ください。ただし、このページから下記のURLに移動して発生するいかなる事態も当方は責任を負いませんので、このことをご了承のうえアクセスしてください。

目次

1.今回取り扱う資料
2.「蹴鞠紋鏡」の鞠  
    /●資料1
3.宋時代の鞠の表現  
    /●資料2/●資料3
4.「宋太祖蹴鞠図」にみる鞠の表現と元・清時代の変遷  
    /●参考1/●資料4/●資料5/●資料9
5.明時代の鞠の表現  
    /●資料6/資料7/●資料8
6.鞠表現の分類と変遷 宋・元・明・清時代  
    /●鞠の表現の分類
7.鞠の構成分類と変遷および蹴鞠紋鏡の鞠の表現の位置づけ 
    /●鞠の構成分類/●蹴鞠紋鏡の鞠の表現の位置づけと鞠の変遷
8.まとめ

本文

1.今回取り扱う資料

鞠の表現について取り上げる資料は、蹴鞠紋鏡も含めて次のとおりです。(表1)

表1 取り扱い資料一覧表

※資料の年代については、絵画資料の作成・刊行年の資料自体への記述、所蔵先HPの記載や現時点で考えられているその作成者が存在したとされる期間などを参照して入力しています。

※参考までに一覧表のテキストデータを載せておきます。
【凡例】資料番号/時代/年代/作者/名称/所蔵
1 /唐時代末~宋時代/10世紀~13世紀/作者不明/蹴鞠紋鏡/兵庫県立考古博物館
2 /宋時代(南宋)/12世紀/蘇漢臣/長春百子図巻/国立故宮博物館院(台湾)
3 /宋時代(南宋中期)/12世紀後半~13世紀第1四半期/馬遠/
  蹴鞠図(The Football Players)/The Cleveland Museum of Art
4 /元時代(宋末・元初)/13世紀後半/〈伝〉銭選/蹴鞠図巻(宋太祖蹴鞠図)/
  上海博物館
5 /元時代?/13世紀後半?/胡廷暉/宋太祖蹴鞠図/所蔵先不明
6 /明時代/15世紀半ば~後半?/作者不明/明宣宗行楽図(朱瞻基行楽図)/
  故宮博物館院(北京)
7 /明時代/15世紀後半/杜堇 /仕女巻/上海博物館
8 /明時代/16世紀/汪雲程/蹴鞠図譜(※『説郛』所収)/国立公文書館
9 /清時代/乾隆20年 (1755年)作/黃慎/ 蹴鞠図/天津博物館
参考1/江戸時代/明和四(1767)年刊/吉村周山/
   帝王蹴鞠図(※『和漢名筆画宝』巻一 所収)/国文学研究資料館

※以降、取り上げる絵画については、基本的に資料番号で表記します。


2.「蹴鞠紋鏡」の鞠  

●資料1 作者不明「蹴鞠紋鏡」
〔唐時代末~宋時代/10世紀~13世紀〕兵庫県立考古博物館所蔵

【資料1】の鞠の表現については、蹴鞠紋鏡②-1にて記していますのでご参照ください。


3.宋時代の鞠の表現

●資料2 蘇漢臣「長春百子図巻」
〔宋時代(南宋)/12世紀〕国立故宮博物館院(台湾)所蔵

国立故宮博物館院HP(2022年11月確認)
https://digitalarchive.npm.gov.tw/Painting/Content?pid=14366&Dept=P
※画像下の表題横のアイコン「ⅢF検視」(左から2番目)をクリックすると高解像度画像を確認できます。

図2-1 【資料2】蘇漢臣「長春百子図巻」に見える蹴鞠の情景
(国立故宮博物館院〔台湾〕所蔵/72dpi画像 CC0)
※蹴鞠部分のみ抜粋

【資料2】の表現
4人の子どもが蹴鞠をして遊ぶ様子が描かれています。手前の2人の子どもが蹴鞠をしており、左側奥の2人がそれを見守っています。鞠は蹴鞠をする二人の中央で、右端の子どもが蹴り上げた足先に確認できます(図2-1)。(※高解像度の画像は上記のHPで確認できます。)

描かれている鞠の模式図を示すと次のようになります(図2-2)。

図2-2 【資料2】に描かれた鞠表現の模式図

鞠の表現の特徴と構成
鞠の表現の特徴として5つ挙げられます。
①外形が円形(球形)になっている。
②少なくとも茶・緑・青・赤の4色のパネルが使用されている。
③横に隣り合うパネルの接合線は直線で表現されている。
④上下に隣り合うパネルの接合線は忍冬紋(パルメット紋)状の形になっている。
⑤忍冬紋状の形の接合線は、上下に隣り合う2枚のパネルの間に表現されている。

このような上下で同じ形のパネルをを使用する鞠の特徴からは、正五角形のパネル12枚を組み合わせた正十二面体をベースとしたパネル構成(図2-3)が推測できます。
図2-3 正十二面体の模式図
(左:一枚の五角形のパネルを正対して見た場合、
右:二枚の五角形のパネルをそれぞれ頂部と底部にして横から見た場合)

図2-3右では、横に隣り合う2枚パネルの間は直線(特徴③)であり、これら2枚のパネルの間に下の1枚のパネルの2辺が接する形になっています(特徴⑤)。この上下に接する部分が、忍冬紋の形状になっていれば、特徴④の条件に符号します。

【資料2】の蹴鞠は、パネルを組み合わせた正十二面体を膨らまして円形(球形)にしたもの(特徴①)を図2-3右のような視点から描かれているとすれば、見えないパネルが隠れているため4色(4枚)のみ表現されている(特徴②)と考えることができます。

ただし、この視点の場合、頂部と底部の2枚のパネルの存在したかどうかがわかりません。

もしかしたら、使用パネルは五角形ではなく、菱形状のパネルで、その一つの頂点が頂部・底部の五角形の中点の位置に伸びたような形も考えられ、5枚合わせると花のような形になります(図2ー4下)

上記を踏まえ、色と合わせて検討すると、資料2の鞠(図2-2)のパネル構成は、次の2つの可能性が考えられます。
図2ー4 4色12枚パネル(上)と5色10枚パネル(下)の鞠の展開模式図
(※いずれの図も表示面が球体に構成した場合の外面にあたります。
また、煩雑になるため忍冬紋の表現は省略しました。
下図の黄色は任意の色を当て込んでいます。)

一つ目は、パネルの形が五角形の正十二面体をベースとした場合、パネルの枚数は12枚になります。この場合、パネルの色が隣り合わないようにする最小の色数は4色になります。(図2ー4上)

二つ目は、パネルの形が菱形状をベースとした場合、パネルの枚数は10枚になります。(図2ー4下)この場合、パネルの色が隣り合わないようにすると最小の色数は5色になります。

●資料3 馬遠「蹴鞠図(The Football Players)」
〔宋時代(南宋中期)/12世紀後半~13世紀第1四半期〕
The Cleveland Museum of Art(アメリカ クリーブランド美術館)所蔵

クリーブランド美術館HP(2022年11月確認)
https://www.clevelandart.org/art/1971.26

図3-1 【資料3】馬遠「蹴鞠図(The Football Players)」
(クリーブランド美術館所蔵/CC0 1.0/※図3ー2・3も同様)
※画像を明るく修正して表示しています。

【資料3】の表現
蹴鞠の様子がいきいきと描かれています。中央に4人蹴鞠のプレーヤー、それを見守る人が左に1人、右側に4人います。この資料では2つの鞠が描かれています。

ひとつは、人物達が見上げる上空に蹴り上げられた鞠があります(図3-2)。
もうひとつは、右端で見守る人のうち、上から3人目の人が鞠を抱えています(図3-3)。
図3-2 【資料3】に描かれた蹴り上げられた鞠の表現


図3-3 【資料3】に描かれた人物手中の鞠の表現

図3-2の鞠の表現を模式図にしたものが次の図3-4のとおりです。

図3-4 【資料3】図3-2の鞠の模式図

鞠の表現の特徴と構成復元
鞠の表現の特徴は、
①外形は概ね円形(球形)になっている。
②正面中央に六角形のパネルがある。
③正面の六角形のパネルの各頂点から放射状にパネルの接合線が直線的に伸びる。
④放射状に伸びるパネルの接合線に合わせて、円形の輪郭がやや凹む。(パネル中央が膨らんでがのびている状況が表現されている。)
⑤白または薄い灰色系の着色がなされる。

まず、図3ー3の人物手中の鞠についてですが、表現は手に隠れて全体は見えませんが、①②と③の一部の特徴が見えますので図3ー2の鞠と同一の表現がなされているとみられ、同じ種類の鞠とみてよいと思います。

⑤の鞠の色にっいては、素材の色か着色なのかは不明です。

図3-2~4ですが、そこにみられる表現①③(④)は、【資料1】の蹴鞠紋鏡の鞠と類似しています。
表現されていない反対側も同様の構造とすれば、6枚の舟形多円錐、またはその両尖端が切られた裁頭舟形多円錐のパネルと、それらを組み合わせた両端部を塞ぐ六角形のパネル2枚の合計8枚のパネル構成が考えられます(図3ー5)。
ちょうど六角柱が膨らんだような形になります。
図3-5 【資料3】の鞠の推定展開図
(六角形のパネル2枚と裁頭舟形多円錐パネル6枚)
※イメージ図なので必ずしも球形になるものではありません。


このような鞠の形は、中国の山東省淄博市臨淄足球博物館やFIFA MuseumのHPでは、図3-6のような復元品として提示されています(図3ー6)。

図3-6 資料3の鞠の復元イメージ図


4.「宋太祖蹴鞠図」にみる鞠の表現と元・清時代の変遷 資料4・5・9
「宋太祖蹴鞠図」は、宋太祖趙匡胤と弟の太宗趙匡義(趙炅)やその臣下が集まって蹴鞠をする様子が描かれています。この同じモチーフの作品は多数確認でき、様々な作者によって表現が少しずつ変わりながら複数の時代に渡り制作されています。中国絵画の画題として人気があったことがうかがえます。今回は、異なる時代に属し、かつ資料に関する情報と鞠の表現が比較的明瞭なもの代表として資料4・5・9を取り上げます。これ以外にも複数資料がありますが、ここでは特に取り扱いません。

また、江戸時代の日本においても、中国絵画の絵手本に【参考1】の「帝王蹴鞠図」(図4-1)として残されています。「宋太祖蹴鞠図」のイメージを提示する意味も込めて、まず【参考1】について見ていきます。

●参考1 吉村周山「帝王蹴鞠図」(※『和漢名筆画宝』巻一 所収)
〔明和四(1767)年刊〕国文学研究資料館所蔵

新日本古典籍総合データベースHP(2021111月確認)
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/200010561/viewer/27

図4-1 江戸時代(1767年刊)の中国絵画の絵手本の【参考1】「帝王蹴鞠図」
(国文学研究資料館所蔵/CC BY-SA4.0)※画像余白部分トリミング

【参考1】の表現
【参考1】は、宮庭で蹴鞠に興じる様子が伺え、手前に3人、奥に3人の合計6人の人物が描かれています。手前の3人が蹴鞠をしているとみられ、右端の人物の足先に鞠が確認できます。また、奥の3人は、中央の人物の両腕を左右の人物がそれぞれ片手で抱えながら、蹴鞠を見守るように表されます。その左上には、「中 宋太祖」、「左 太宗」、「右 党晋」と表記されてます。そして、背景となる宮廷には、右端に建物の一角の柱と基礎部分、その左横に庭石(太湖石)と花を持つ植物が、その画面の反対側の左端には大きな葉をもった植物が描かれています。

人物・背景などの描かれている要素や構図は、後に取り上げる【資料5】に類似しており、【参考1】の原画になっている可能性があります。

【資料1】の鞠について見ると、【資料5】の鞠と同じ形状のパネルや同じような構図の表現がなされています。
鞠の検討については【資料5】と併せて考えたいと思います。

次に、元時代に作成されたとみられる【資料4・5】、清時代の【資料9】について見ていきます。
なお、上記資料は人物表現や、名前の表記、背景などいろいろと違いはありますが、ここでは基本的には鞠の表現だけ取り上げていきます。

●資料4 〈伝〉銭選「蹴鞠図巻(宋太祖蹴鞠図)」
〔元時代(宋末・元初)/13世紀後半〕上海博物館所蔵

上海博物館「呉湖帆書画鑑蔵特展」HP(2022年11月最終確認)
https://www.shanghaimuseum.net/mu/frontend/pg/m/article/id/E00004015#gallery1-5

※都合によりここでは画像を提示できません。

【資料4】の表現
【資料4】では6人の人物が描かれ、手前の2人が蹴鞠をし、奥の4人はそれを見守るように表されています。鞠は、手前2人の間で右側の人物の足先にあり、ちょうど鞠を蹴り上げている様子がうかがえます。

鞠については模式図を示すと図4-2のような表現がなされています(図4-2)。

図4-2 【資料4】に描かれた鞠の模式図


鞠の表現の特徴と復元構成
【資料4】の鞠の表現は次の特徴が挙げられます。
①外形は円形(球形)になっている。
②正面中央に五角形のパネルがある。
③五角形の頂点から放射状に直線が伸びて外側の円形につながっています。
④茶色系の着色がなされている。

まず、④の特徴の色からすると革製のパネルの使用が想像されます。

また、①②③の特徴から、次の2つのパネル構成の可能性が考えられます。

ひとつめは、図2-3の左の図のような、12枚の五角形のパネルを12枚を使用した正十二面体の構成が考えられます。(図4-3)

図4-3 正十二面体の展開図


ふたつめは、図3ー5・6(★リンクを貼る)のように、両端に五角形のパネル2枚とその各辺と接続する裁頭舟形多円錐パネル5枚(中程が膨らむ縦長の長方形パネル5枚)の構成が考えられます。(図4-4)
ちょうど五角柱を膨らましたような形です。

図4-4 【資料4】の鞠の推定展開模式図
(五角形のパネル2枚と裁頭舟形多円錐パネル6枚)
※イメージ図なので必ずしも球形になるものではありません。


●資料5 胡廷暉「宋太祖蹴鞠図」
〔元時代?/13世紀後半?〕所蔵先不明

中鸿信国际拍卖有限公司HP(※オークションサイト)(2022年11月最終確認)
http://zhonghongxin.69ys.com/result/detail/64375

※都合によりここでは画像を提示できません。


【資料5】の表現
【資料5】は、宮廷で蹴鞠に興じる様子が伺え、手前に3人、奥に3人の合計6人の人物が描かれています。手前の3人が蹴鞠をしているとみられ、右端の人物の足先に鞠が確認できます。また、奥の3人は、中央の人物の両腕を左右の人物がそれぞれ片手で抱えながら、蹴鞠を見守るように表されます。各人物の頭上には名前が記されており、手前の右端から「宋太祖」(一番右)、「趙普」(左から二番目)、「楚昭輔」、奥側は右端から「党進」、「太宗」、「石守信」と見えます。【参考1】でも触れましたが「宋太祖」が趙匡胤、「太宗」が趙匡義(趙炅)で、それ以外の人物は彼らの家臣が表されています。そして、背景となる宮廷には、右端に建物の一角の柱と基礎部分、その左横に庭石(太湖石)と花を持つ植物が、その画面の反対側の左端には濃紺色の柵が描かれています。

【資料5】に描かれた鞠について模式図に示すと次のとおりです。(図4-5)

図4-5 【資料5】に描かれた鞠の模式図

鞠の表現の特徴と構成復元
【資料5】の鞠の表現の特徴は次が挙げられます。
①外形は円形(球形)になっている。
②1枚のパネルの形状が分銅状の形(円の最大径部分を相対する2方向から、同一規模の円弧状に内側へえぐったような形状)をしている。
③斜めから見たようにパネルが描かれ、パネルが4~6枚組み合わさる。
④各パネルの接続は、分銅形パネルの中央のくびれた部分に、別の一枚のパネル端の円弧部分が接続する。
⑤白色系の着色。

⑤の鞠の色にっいては、素材の色か着色なのかは不明です。

①②③④の特徴からは、それぞれの分銅形のパネルが、互いのくびれ部分に直交するように接続するパネルの組み合わせ方が考えられます。

イメージとしては、現在のバレーボールのように長方形に近い形のパネルの二つの短辺が別のパネルの長辺の中程に直交して接する配置、組み合わせ方に近いです。
(※ただし、バレーボールの場合は接する部分はやや直線的で、分銅形パネルの一枚にあたる部分は3つのパーツで構成されたようになっています。)


そして【資料5】の鞠は、上記のような組み合わせ方では、分銅形パネル6枚構成が考えられます。正六面体(立方体)に曲線を取り入れて球体にしたような形になります。


展開図を示すと下図のとおりです。(図4-6)

図4ー6 分銅形パネルの推定展開模式図
※あくまでイメージなので、この絵を元にしても球形は作成できない場合があります。


なお、日本の江戸時代に刊行された【参考1】は、画面左端の植物を除いて【資料5】の構図や人物・背景の配置や鞠の表現がよく類似しており、【資料5】が祖型となっている可能性があります。


●資料9 黃慎「蹴鞠図」
〔清時代/乾隆20年 (1755年)作〕天津博物館所蔵

揚州市博物館「扬州博物馆特别引进《怪而不怪 天津博物馆藏“扬州八怪”书画展》」HP(※揚州博物館での天津博物館所蔵品展示HP)(2022年11月最終確認)
https://preview.bluenion.com/yangzhou2/galleries/cn/0801.html?s=pano2366&h=-138.95&v=7.9746&f=40.0000&l=cn&g=0801


※都合によりここでは画像を提示できません。

【資料9】の表現
【資料9】は、手前に3人、奥に3人の合計6人の人物が描かれています。手前の3人のうち、右側の2人が蹴鞠をしているとみられ、右端の人物の足先に鞠が確認できます。手前左端および奥の3人が蹴鞠の様子を見守るように表されます。ただし、【資料4】・【資料5】・【参考1】とは表現が異なり、左手前の人物は蹴鞠をする人物よりやや前に出ており、また奥の3人については左側で2人が肩を組み、右側に1人が分かれて描かれています。

【資料9】に描かれた鞠についてみると、模式図に示すと次のとおりです。(図4-7)
図4ー7 【資料9】に描かれた鞠の模式図

鞠の表現の特徴と構成復元
①外形は円形(球形)になっている。
②表面に亀甲紋様が表される。※18個の六角形がみえる。
③亀甲紋様の輪郭線は、鞠の輪郭線よりもやや薄い色で表現される。
④亀甲紋様のそれぞれの内側には亀甲の輪郭線よりさらに薄く淡い色で、菊花紋のような表現がみえる。
⑤鞠の内側は着色されており、画面の下地よりもやや淡い橙色にみえる。


①②③④の表現を踏まえると、鞠に表された亀甲紋様については、六角形のパネルを組み合わせたというよりも表面に施された図柄と思われます。
とすれば、図柄の入った布などで包まれた可能性や日本の手毬(てまり)のように様々な色の糸を用いて表面を図柄で装飾する可能性があり、その場合、⑤の色は鞠に用いられた糸の色など図柄に関連する色が考えられます。
※ここでは調べきれませんでしたが、現在の中国には「手绣蹴鞠」や吊り飾りの「繍球」といった鞠(球)の表面に糸などを用いて図柄等の装飾を施すものがあるようです。

そのため、鞠のパネル構成については不明です。

なお、ここでは提示できませんが、社団法人霞会館所蔵の「宋太祖蹴鞠の図」にも同様の鞠の表現がみられ、こちらの絵の方が、亀甲紋様や中の菊花紋が細かく明瞭に描かれており、鞠を構成するパネルではなく、図柄としての表現を確認できます。(※埼玉県立博物館2002『KEMARI―蹴鞠―』p15、45「紙本着色宋太祖蹴鞠の図」で画像を確認できます。)


以上、元時代の【資料4・5】および清時代の【資料9】と同じ画題で異なる時代、作者によって作成された複数の「宋太祖蹴鞠図」をみてきましたが、それぞれ鞠の表現が異なることがわかりました。

【資料4】
正五角形のパネル12枚を組み合わせた正十二面体の構成か、または、パネルの形が五角形2枚と舟形多円錐あるいは裁頭舟形多円錐のパネル5枚の合計7枚の組み合わせた五角柱を膨らませたような形が考えられます。
【資料5】・【参考1】
分銅形パネルを6枚をそれぞれ直交方向に組み合わせて構成された新たな鞠が確認できます。六面体の各面の一つの対辺が内側に凹む円弧をもつ形のような構成になります。
【資料9】
鞠のパネル構成についてはよくわかりませんが、それとは別に図柄を採用して鞠の表面を装飾されたことがわかります。


5.明時代の鞠の表現 資料6・7・8

●資料6 作者不明「明宣宗行楽図(朱瞻基行楽図」
〔明時代/15世紀半ば~後半?〕故宮博物館院(北京)所蔵

故宮博物館「故宮名画記」HP(2022年11月最終確認)
https://minghuaji.dpm.org.cn/paint/appreciate?id=9hv8wtoav5a5hyr0l7pmjc765dwesqti


※都合により画像は表示できませんが、模式図を提示しておきます。(図5-1)
図5ー1 【資料6】の蹴鞠部分の模式図

【資料6】の表現
【資料6】は絵巻の形式で、明の皇帝宣宗(朱瞻基)が宮廷において蹴鞠のほか、投壺や馬球などの遊戯に興じる様子が描かれ、それぞれの情景は、塀や門、陣幕、樹木、柵などによって区切られて表示されています。蹴鞠の情景は、絵巻の右から2番目にあたり、右側に塀、左側に樹木とL字型に配置された柵によって区別(区画)されています。

蹴鞠の情景部分には、天蓋がある壇上の中央に皇帝が座り、その面前に7人の人物が描かれています。そのうち、中央の3人が蹴鞠を行っており、その左右にそれぞれ2人が見守るように配置されています。

鞠については、4個確認できます。1個目は、蹴鞠を行う3人の中央で左上の人物の足先に、2個目は右側で見守る2人の人物のうち手前の人物が腕で抱えています。3・4個目は、皇帝が据わる壇上の天蓋の両側に赤色の網に入れられて紐で吊り下げられた鞠が左右一カ所ずつ確認できます。

描かれた鞠
鞠の細かな表現が見えるのが、1個目と2個目のみで、3・4個目については網に入っているため白色に着色されている以外、詳細不明です。

ここでは、表現がみえる1・2個目の鞠についてみていきたいと思います。

蹴り上げられた1個目の鞠と、腕に抱えられた2個目の鞠の模式図を示すと次のとおりです。(図5-2)
図5-2 【資料6】に描かれた2種類の鞠の模式図
(左:1個目/蹴り上げられた鞠、 右:2個目/人物の腕に抱えられた鞠)

一見して分かるように、1個目も2個目もパネルの形が異なっており、2種類の鞠が描かれていることがわかります。

鞠の特徴と構成復元
1個目の鞠(左)の特徴
①外形は円形(球形)になっている。
②星形の角が丸くなったような不整形なパネルを組み合わせて構成される。
③斜めの方向から見たようにパネルが描かれ、4~5枚のパネルがみえる。
④白色に着色される。

④の鞠の色については、素材の色か着色なのかは不明です。

②の特徴については、パネルは一見不整形で、接続する線が波打つように表現されていますが、右上の一枚のパネルに注目すると、少なくとも見える範囲では3~4枚のパネルと接しており(特徴③)、接続線も概ね屈曲したような形になっています。見えない部分にもう一枚あるとすれば、概ね五角形をベースとしたパネルの形状が考えられます。

1個目の鞠(左)の構成復元
五角形パネルを利用した球形となると、【資料4】の正十二面体の構成か、五角形パネル2枚を利用した物がありますが、パネルの接続線が不整形であることを考慮すると正十二面体の構成になると考えられます。

2個目の鞠(右)の特徴
①腕に隠れているが見える範囲では円形(球形)になっている。
②分銅形のパネルで構成される。
③斜めの方向から見たようにパネルが描かれ、4枚のパネルがみえる。
④分銅形パネルのくびれ部分に別のパネルの両端の円弧部分が接続する。
⑤白色に着色される。

2個目の鞠(右)の構成復元
腕に隠れて全体形状はわかりませんが、①~⑤の特徴から【資料5】と同じような鞠といえ、分銅形パネル6枚で構成され、それぞれのパネルを直交させて組み合わせたものになると考えられます。

同一画面に異なるパネル構成の鞠が描かれている点で複数種類の鞠が同時期に併存していたことがわかり、使い分けや機能的な違いなどがあったのかもしれません。


●資料7 杜堇 「仕女巻」
〔明時代/15世紀後半〕上海博物館所蔵

上海博物館HP(2022年11月最終確認)
https://www.shanghaimuseum.net/mu/frontend/pg/article/id/CI00000967

※都合により画像は表示できませんが、模式図を提示しておきます。(図5-3)
図5-3 【資料7】蹴鞠部分の模式図

【資料7】の表現
【資料7】は、 宮廷での女性の生活の様子の様々な場面が絵巻に描かれています。これは、明時代(15世紀)に杜堇が制作したものですが、五代南唐(10世紀)の宮廷画家である周文矩が制作した『宮中図』を基に作成したとされています。現在確認できる『宮中図』は、12世紀に線画のみで模写されたもので、近代に4分割されて、クリーブランド美術館などに別々に所蔵されています。この『宮中図』では、宮中の多数の女性や子供たちが登場し、日常生活の様子などが描かれていますが、管見の限り蹴鞠の様子は描かれていません。従って、【資料7】の蹴鞠の情景は、明時代の 杜堇の制作意図が大きく反映されている部分になると思われます。

ここに見える蹴鞠の情景では、5人の女性が確認でき、左側に2人、右側に3人分かれて描かれています。蹴鞠をしているのは、左側の2人と右側3人の内一番奥の女性で、残る右側の手前の2人の女性はその様子を見守っています。鞠については、左側手前の女性の右足先に蹴り上げられたように表されています。

描かれた鞠
鞠の表現について模式図出示すと図5ー4のとおりです。(図5-4)

図5-4 【資料7】に描かれた鞠の模式図

鞠の表現の特徴
鞠の表現の特徴は、
①外形は円形(球形)になっている。
②円の正面中央に梅の花の形のような不整形な五角形のパネルが1枚描かれる。
③中央の不整形な五角形(梅花形)のパネルの各辺に同様の不整形なパネルが5枚接続する。
④接続する不整形の5枚のパネル同士は間隔が開いており、2本の輪郭線は概ね五角形の頂点からそれぞれ波打ちながら放射状に伸びるように描かれる。
⑤白色に着色される。※放射状に伸びるパネル間部分も白色に着色。

まず、⑤の鞠の色については、素材の色か着色なのかは不明です。

そして、①~④の特徴から、二つの可能性が考えられます。

ひとつは、五角形パネルの正十二面体をベースとした構成です。この場合、放射状に伸びた各パネルの隙間にも⑤のとおり着色されることから、別の形のパネルによって片面5カ所反対側を含めると10カ所の隙間が埋められていることになり、少なくとも合計22枚以上のパネルで構成されることになります。

ふたつめは、【資料4】の図4-4のように、同一形の複数のパネルを筒状に組み合わせ、その両端を五角形のパネルで塞ぐ構成です。この場合、それぞれの筒状になる部分の不整形なパネルの隙間は5カ所になるので、両端の2枚、筒状に組み合わせた部分が合計10枚の合計12枚のパネル構成になります。

ここで、【資料6】の図5-2のひとつめの鞠を見ると、同じように概ね五角形をベースとした不整形なパネルを用いた構成になっている点が似ています。

もし、【資料7】と同様の系統にあるとすれば、ひとつめの五角形の正十二面体をベースとした鞠の構成であり、不整な五角形のパネル間の隙間にさらにパネルを加えて、装飾的にあるいは、球体に近づけるような工夫がなされた鞠が描かれたと考えることができます。


●資料8 汪雲程「蹴鞠図譜」(※『説郛』所収)
〔明時代/16世紀〕国立公文書館所蔵

国立公文書館デジタルアーカイブHP(2022年11月最終確認)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000107776&ID=&NO=122&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf
※5~7ページ目

【資料8】の蹴鞠の様子が描かれている部分を抜き出して下図のようにまとめてみました。(図5ー5)

図5ー5 【資料8】に描かれた蹴鞠図(右から一人場戸、二人場戸、三人場戸)
(国立公文書館所蔵/二次利用可能画像使用)
※各画像トリミングのうえ再配置。

【資料8】の表現
【資料8】は、明時代の汪雲程によって作られた蹴鞠の解説書で、「毬門式」といった試合形式や、少人数で行うプレー方法とその図が示され、またそこで使われる 様々な技の名前と内容が記されています。(※今回使用したのは、元時代末~明時代初の陶宗儀によって編纂された漢籍叢書『説郛(せっぷ)』を明時代末に陶珽が刊行した120巻本の「重較説郛」で、国立公文書館が所蔵し、デジタルアーカイブで公開されているものです。)

ここでは、少人数で行うプレーの「一人場戸」、「二人場戸」、「三人場戸」のそれぞれの図を提示しておきます。(図5-5)

文字のとおり、それぞれプレー人数が一人~三人となっており、いずれも白抜きで表現された頭巾を被り、髭を生やした人物の足先に鞠が描かれています。


描かれた鞠
【資料8】の鞠の表現は「一人場戸」、「二人場戸」、「三人場戸」のいずれ図についても同一の表現がわかります。代表して「二人場戸」の鞠部分を拡大して表示しておきます。(図5-6)

図5-6 【資料8】「二人場戸」に描かれた鞠
(国立公文書館所蔵/画像二次利用可)
※画像トリミング
鞠の表現の特徴
①外形は円形(球形)になっている。
②正面中央に六角形のパネルがある。
③正面の六角形のパネルの各頂点から放射状にパネルの接合線が直線的に伸びる。
④白黒印刷のため鞠の色については不明。

鞠の構成・復元
①②③の特徴は【資料3】の鞠と同じであり、6枚の舟形多円錐形、またはその両尖端が切られた裁頭舟形多円錐のパネルを組み合わせて筒形にし、その両端部を2枚の六角形のパネルで塞ぐ、合計8枚のパネル構成が考えられます。(図5-7)
ちょうど六角柱を膨らましたような形です。

図5-7【資料8】の鞠の推定展開模式図

このパネル構成の鞠は、【資料3】が制作された宋時代だけでなく、【資料8】が作成され、叢書としてまとめられた明時代末にかけても鞠として認識されていたといえます。


6.鞠の表現の分類と変遷 宋・元・明・清時代

●鞠の表現の分類と変遷
これまでに宋・元・明・清時代の絵画資料に描かれた鞠の表現を見てきました。

鞠の描画表現についてまとめると、まず次のa~cの3つが挙げられます。

a:1枚のパネルを円形の鞠の正面中央に描くもの ー 資料1・3・4・7・8
b:1枚のパネルを円形の鞠に対して斜め方向から描く物 ー 資料2・5・6
c:鞠の表面を図柄で装飾するもの ー 資料9

次に、描画として確認できたパネルの形については次の1~7が挙げられます。
1:円形  ― 資料1
2:六角形 ― 資料3・8
3:五角形 ― 資料4
4:不整五角形(梅花形)― 資料7
5:不整五角形(星形)― 資料6(1個目)
6:忍冬紋形 ― 資料2
7:分銅形 ― 資料5・6(2個目)

これらを帰属する時代と合わせて表にすると次のとおりです(表2)。

表2 中国絵画に描かれた鞠の表現の変遷

これらを組み合わせると、a1~4、b5~7・cの3つの表現にまとめられます。
これらから考えられるパネルの使用について次の4つがあげられます。

① 二種類の形のパネルを使用するもの(※表2の青色太線枠内)
② 概ね同じ形のパネルを使用するもの(※表2の赤色太線枠内)
③ ①②の両方の可能性があるもの  (※表2の青色・赤色破線内)
④ その他(①~③に含まれないもの・不明なもの含む)    

復元を試みたパネル構成と組み合わせ方についてみていきます。

①:二種類の形のパネル使用するもの
表2の青色太線枠内に該当するものです。
〈該当資料〉a1:資料1、a2:資料3・資料8
これらは、二種類の形のパネルを使用するもので、舟形多円錐などの同一形パネル複数枚を同一方向に揃えて筒形(またはほぼ球形)に組み合わせ、その両端を異なる形のパネルで塞いで球形を構成するものになります。

これらの種類は少なくとも宋時代以降に確認できます。

円形パネルを使用するa1:資料1については、両端を塞ぐ円形が小さいため、舟形多円錐によって筒形ではなく、ほぼ球形が出来ているとみられます。
現時点では、宋時代でのみ確認できます。

そして、六角形のパネルを使用するa2:資料3・資料8については、パネルの枚数と組み合わせ方の下地に六角柱の構成を当てはめることができます。(表2の緑塗部)
これらは、宋時代と明時代に確認でき、おそらく継続して存在していた可能性があります。


②:概ね同じ形のパネルを使用するもの
表2の赤色太線枠内に該当するものです。
〈該当資料〉b5:資料6(1個目)、b6:資料2、b7:資料5・資料6(2個目)
これらは、概ね同じ形のパネルを使用するもので、そのパネルの形に合わせて各パネルの組み合わせる方向を変えながら球形を構成するものになります。なお、概ね同じとしているのは、パネルの不整形な部分や、装飾として変形している部分も含めているためです。

b5:資料6(1個目)、b6:資料2については、いずれもパネルの形状が特徴的ですが、正十二面体のように一方向にパネルが揃わない組み合わせ方が推測されるものです。
b6については宋時代に、b5については明時代に確認できます。

b7:資料5・6(2個目)については、分銅形パネル6枚の各パネルの中央にそれぞれ直交するように組み合わせて球形を構成するものですが、その下地には六面体(立方体)の構成があります。六面体(立方体)の各面の四辺のうち一組の対辺同士が外側に膨らむ円弧の曲線を、もう一組の対辺同士が内側に膨らむ円弧の曲線を取り入れた形になっています。これによって、六面体の各面、すなわち各パネルの形状が分銅形になり、立方体を膨らませた際の辺や角のひっかかりが少なくなって、より球形に近づくようになっていると考えられます。
b7は元時代、明時代に確認でき、この間に継続して存在していたと考えられます。


③:①②の両方の可能性があるもの
表2の青色・赤色破線内にあるものです。
〈該当資料〉a3・a4
一方向のみ描かれる絵画の表現上、a3:資料4、およびa4:資料7については明確に判別できないため、どちらの可能性もあります。
これらについては、パネルの構成と組み合わせ方の下地についても、五角柱と正十二面体のどちらの可能性もあります。
a3は元時代、a4は明時代に確認できます。


④:その他(不明なもの含む)
表2の上記①~③に含まれないもの、不明なものです。
〈該当資料〉c:資料9
c:【資料9】は、表面が図柄で装飾されているため、パネル構成が不明なものです。
【資料9】は、清時代に確認できます。


7.中国の鞠の構成分類と変遷および蹴鞠紋鏡の鞠の表現の位置づけ

蹴鞠紋鏡②-1で記した漢時代・唐時代の鞠と、上記でみてきた宋・元・明・清時代の鞠の踏まえて分類し、蹴鞠紋鏡の鞠の表現の位置づけについてみていきます。

●鞠の構成分類
鞠の構成について、漢時代・唐時代の鞠も含めて分類すると、大きくⅠ~Ⅴ類の5つに分けられ、各分類の確認できた時代を当てはめると次のように当てはめられます。

Ⅰ類(漢時代)
動物の内臓(胃など)を利用し、中に毛を充填して構成するもの。
(『長沙馬王堆三号漢墓出土的帛書』「黄帝書(黄帝四経)」《十大経 正乱》・『漢書』《卷五十五 衞青霍去病傳 第二十五》)

Ⅱ類(唐時代)
同一の形の皮革パネルを同一方向に組み合わせて球形を構成するもの(中身は空気を充填)
舟形多円錐8枚パネル構成(帰氏子「答日休皮字詩」)

Ⅲ類(宋・元・明時代)
①二種類の形のパネルを使用。パネルを同一方向に組み合わせて筒形にしたものの両端を異なる形のパネルで塞ぐもの
a1:小さな円形パネルで塞ぐ(円形2枚・他5枚の計7枚パネル)/資料1(宋時代)
a2:六角形パネルで塞ぐ。六角柱を下地としたパネル構成(六角形2枚・他6枚の計8枚パネル)/資料3、資料8(宋時代・明時代)
a3:五角形パネルで塞ぐ。五角柱を下地としたパネル構成(五角形2枚・他5枚の計7枚パネル)/資料4
a4:不整五角形(梅花形)のパネルで塞ぐ。五角柱を下地としたパネル構成。/資料7

※a3・4はⅣ類の可能性もある。

Ⅳ類(宋・元・明時代)
②概ね同じ形のパネルを使用し、パネルの形に合わせて各パネルの組み合わせる方向を変えて球形を構成するもの。パネルの形状がやや不整形なものや装飾のために複雑になる。
a3:五角形パネル12枚使用。正十二面体を下地としたパネル構成/資料4
a4:不整五角形(梅花形)のパネルを使用。正十二面体を下地としたパネル構成。/資料7
b5:不整五角形(星形)パネル12枚使用。正十二面体を下地としたパネル構成/資料6(1個目)
b6:パネルの一部に忍冬紋の形状を装飾した菱形状のパネル10枚または五角形のパネルのパネル12枚(うち2枚は装飾なし)を使用。正十二面体を下地としたパネル構成/資料2
b7:分銅形パネル6枚を使用。立方体を下地としたパネル構成/資料5、資料7

※a3・4はⅢ類の可能性もある。

Ⅴ類
その他(不明なもの)
c:表面を図柄で装飾するもの/資料9(清時代)


●蹴鞠紋鏡の鞠の表現の位置づけと中国の鞠の変遷

以上のⅠ類~Ⅴ類を時代を軸に整理すると、次のような変遷になります。

表3 鞠の構成分類と変遷

蹴鞠紋鏡の鞠の表現は、上記のⅢ類a1にあたります。
Ⅱ類の鞠の両端に異なる形の2枚のパネルを加えるとⅢ類になるといえます。
蹴鞠紋鏡の鞠の表現がデフォルメ化したものでなければ、小さな円形パネルで両端を塞ぐ蹴鞠紋鏡の鞠のⅢ類a1は、Ⅱ類から両端のパネルが大きくなるⅢ類の六角形パネルのa2や五角形パネルのa3へとつながる鞠に位置づけられるかもしれません。

宋時代には、概ね同じ形のパネルで構成され、パネルの形に応じて組み合わせるⅣ類もみられます。
同じ形のパネルを用いるという点ではⅡ類と共通しています。
しかし、Ⅳ類はⅡ類に系譜を求められる一方、Ⅲ類とは展開過程を異にしているといえます。
唐時代から宋時代までは長期間の隔たりがありますが、この間にⅡ類から分かれてⅢ類とⅣ類がそれぞれ展開していったと考えることが出来ます。

動物の内臓に毛を充填させた鞠のⅠ類から、複数枚の皮革パネルを組み合わせ、中に空気を充填させて鞠を構成したⅡ類、そしてパネルの形状や枚数、構成や組み合わせ方に工夫を凝らして展開させたⅢ類・Ⅳ類、さらに鞠の表面に図柄の装飾を加えたⅤ類という中国の鞠の変遷をみていくことができました。



8.まとめ

ここで取り扱った絵画資料にみられた鞠の表現は、実物としてどこまで存在していたのかはわかりません。

しかし、少なくとも絵画資料においては時代によって表現が変化しており、そこから鞠のパネルの構成や組み合わせ方が推測できます。

もし、その表現に実態がある程度反映されているとするならば、中国の鞠は時代とともに鞠の構成や組み合わせ方などを変化させていったといえます。

そして、その変化は、さまざまなパネルの形や構成、組み合わせ方を工夫しながら、球体に近づけたり、あるいは使用するうえでのパフォーマンスの向上を目指して改良を加えられた結果なのかもしれません。


《蹴鞠紋鏡①②の参考文献》
渡辺融・桑山浩然1994『蹴鞠の研究  公家鞠の成立』東京大学出版会
中国青銅器全集編輯委員会編1998『中国美術分類全集中国青銅器集第16巻銅鏡』文物出版社
中野徹2000「198 青銅足球図鏡」『世界美術全集・東洋編第6巻南宋・金』小学館
孔祥星・劉一曼2001『図説中国古代銅鏡史』中国書店(※初出1981年)
杭侃2006『図説中国文明史7 宋成熟する文明』創元社
埼玉県立博物館 編2002『特別展 Kemari-蹴鞠-the ancient football game of Japan』
池修2016『日本の蹴鞠』光村推古書院
張晏行2017「中國蹴鞠的演變—以漢、唐、宋為主」東吳大學歷史學系碩士論文
潘蕾2018「古代における中日文化交流の一側面―蹴鞠文化を中心に―」『国際学研究』第8号 桜美林大学大学院国際学研究科
小林宏光2018『近世画譜と中国絵画 十八世紀の日中美術交流発展史』SUP上智大学出版

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